第129回 令和6年度 夏季大会
開催日・会場
令和6年6月15日(土)・16日(日)・17日(月)(17日の文学実地踏査は各自・各グループでお回りください)
早稲田大学国際会議場 (〒169-0051 東京都新宿区西早稲田1-20-14)
○会場とZoomによるハイブリッド形式で行います。 アクセス
*申込み締切:6月8日(土)
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大会プログラム
大会テーマ
時代がつくるコンテクスト
生成AIの社会的な運用が具体化しつつある昨今、生成AIが作る文章に差別的な表現があるという報道があった。過去の活字をデータとして使っているAIであるがゆえに、そのような結果は必然でもあったろう。このことは、生身の人間だけがコンテクストを行使できることをあらためて問いかけている。
さらに言えば、コンテクストは普遍的なものではなく、時代によってつくられ、変遷するものである。文学研究では、テクストの背後のコンテクストの解明が有効な方法論になっていると思しいが、あらためてコンテクストとは何かを考え、コンテクストと文学研究の接続の仕方を問い直すことは重要な意味を持つだろう。コンテクストが、いかに読み、書くことに繋がっているのかを考えたい。その解明は将来の文学研究のありかたをも照らすのではないだろうか。
コーディネーター/司会 早稲田大学教授 福家 俊幸
第1日 6月15日(土)
11:00~12:00
代表委員会 国際会議場第二会議室 キャンパスマップ
12:15~12:45
委員会 国際会議場第二会議室
12:45~
会場 国際会議場第一会議室
受付(Zoom開場 13:00~)
13:30~
開会
学会代表挨拶 大東文化大学教授 藏中しのぶ
会場校挨拶 早稲田大学教育・総合科学学術院長 箸本 健二
13:50~14:35
基調講演
時代状況はあってもコンテクストはない
早稲田大学教授 石原 千秋
14:35~14:50
休憩
14:50~17:50
シンポジウム
主体の憑在論 ──オタク、ボーカロイド、小島信夫
東京学芸大学教授 疋田 雅昭
「コンテクスト」を一般化した理論と言えば、ヤコブソンの一九五六年の講演をもとにした論文「言語学と詩学」において提示された、コミュニケーションの六機能図式が想起される。まずは言語学などの論考を通して、このモデルを文学的コミュニケーションで考える際の理論的な問題点を整理したい。それは「発信者」「受信者」「コンタクト」という概念について考えることになるだろう。言い替えれば、それは「主体」をめぐる問題系である。
具体的な指摘としては四つのケースを考えたい。ひとつは、大塚英志が『物語消費論』、岡田斗司夫『オタク学入門』、東浩紀『動物化するポストモダン』などで提唱されたオタクたちの消費形態の変化をそれぞれモダン的、プレモダン的、ポストモダン的と捉え、これら一見直線的な変化過程に見えるものが、再帰的に混ざり合い混在してゆく様相を考えて見る。
こうしたコミュニケーション形態の変容に大きな影響を及ぼしている「コンテクスト」はインターネットのそれであることは言を俟たない。再帰的様相による時制が無効化してゆくような状況を、デリダは「憑在論」と呼んでいるが、インターネットが形成する再帰的コミュニケーションの在り方の典型例を「小説家になろう」というプラットフォームでの受容態度から検討してみようと思う。
「憑在論」による状況把握は「発信者」と「受容者」という区分の自明性も揺らがすことになる。それらの絶えず相互浸透しながら変容している様相を、機械によるボーカロイドの楽曲を人間が歌唱して見せるという「うたってみた」という現象を通じて考えてみたい。デリダの「憑在論」はマルクス主義の思想的歴史性を問題にする際に提唱されたものだが、ここで問題となっているのはインターネットによる時空の圧縮という問題である。
最後に、この時空の問題を文学コミュニケーションによって意識的に取り入れ続けた作家として小島信夫の仕事に触れることによって、「主体」と「コンテクスト」の問題に対する現代文学の応答の一端を確認してみたい。
源氏物語のリアリティーと重層する読者
東京学芸大学准教授 斉藤 昭子
源氏物語はフィクションでありながら、それまでに書かれた他の物語とくらべ――現在まで残っているものはひと握りに過ぎないわけだが――現実感が極めて強い。月から誰かがやってくる、楽器の奇瑞によって山が崩れるというような、それまでの物語に描かれていたような非現実的な出来事は起こらない。源氏物語は、当時における厳密なリアリズムを選択し、そのことによって物語文学の新たな可能性をひらいた。ただしこれは現実にしばられない想像を用いた多様な展開という物語の持つアドヴァンテージを手放すことでもあったはずだ。源氏物語が物語のアドヴァンテージを手放し、現実感を強く打ち出すリアリズムを選択したこと。それはかの時代においてどのようなコンテクストで出来し、どのように機能しているか。この問いを源氏物語の中に重層している読者の面から考えてみたい。重層する読者というのは、一つには紫式部日記に顔を見せる作者の物語仲間と言うべき存在=物語を「精読」する女性読者、二つにはやはり紫式部日記に見られる天皇・道長・公任といった当時の宮廷社会の最上層部を含む男性読者、最後に現代の私たちを含む未来の読者である。それぞれの読者に機能するコンテクストが、どのように絡み合い、流通したのか。これを解きほぐしながら、同時代の「実証」にとどまるだけでは見えてこない源氏物語という古典を読む意味を再考する。
〈源氏物語〉というコンテクスト──中世王朝物語、そして「光る君へ」──
中京大学教授 勝亦 志織
鎌倉時代以降、南北朝・室町時代までに成立し、天皇や摂関家出身の登場人物が主となる作り物語を中世王朝物語と呼ぶが、これらの作品のほとんどが『伊勢物語』や『源氏物語』など平安時代の物語を作品成立の基盤の一つとしている。それに先立つ平安後期や院政期に成立した作り物語でも、その方向性は強く、例えば『狭衣物語』には「光源氏、身も投げつべし、とのたまひけんも、かくやなど」(深川本・巻一)と、光源氏が物語世界に登場していたかのような表現まである。
こうしたあり方は中世王朝物語の作品群にもみられるが、『狭衣物語』におけるあり方とはその緊密性に違いがある。それでも『源氏物語』の世界を作品内に取り込んでいく意識は、中世王朝物語の作者と読者が『源氏物語』の読者でもあったことを示していよう。本報告では、中世王朝物語に先行する物語、特に『源氏物語』がどのように文化的なコンテクストとして利用されているのか、そしてそれは果たして有効に作用していたのかについて考えたい。
そのうえで、現在放送中の大河ドラマ「光る君へ」についても触れたい。「光る君へ」は初回放送時より様々な〈源氏物語〉がちりばめられており、まるで中世王朝物語かのように報告者には感じられるからである。現代の視聴者が平安時代・紫式部・源氏物語を「光る君へ」からどのように受け止めるのか、そしてそれはどのように中世の物語読者たちと重なるのか考えていきたい。
第2日 6月16日(日)
9:00~
受付(Zoom開場 9:15~)
9:30~16:10
研究発表会 A・B 2会場
A会場 国際会議場第一会議室
9:30~12:20
- 『古事記』における「御祖」
フェリス女学院大学大学院博士前期課程修了 宮澤千鶴 - 大伴家持の七夕長反歌について
関西大学大学院生 内俊晴 - 紫式部と清少納言の家
桃源文庫 上原作和 - 紫の上の形象と神仙思想──「胡蝶」巻を起点として──
國學院大學兼任講師 笹川勲
12:20~13:20
休憩
13:20~16:10
- 玉鬘の裳着と尚侍出仕──『源氏物語』「行幸」巻における「ことごとしき御遊びなどはなし」を起点として──
國學院大學大学院生 武田結詩 - 「横笛」巻の「翼うちかはす雁」──「比翼の鳥」の視座から──
早稲田大学大学院生 楊卓婧 - 『夜の寝覚』第一部における対の君のダブルバインドについて
早稲田大学大学院生 前田みどり - 兼好の「認知の場」について──『徒然草』第十二段の「海」注を起点として──
愛知県立大学大学院生 城川哲也
B会場 国際会議場第二会議室
9:30~12:20
- 国語科と図画工作科における教科横断的な学習の効果の検討──レオ=レオニ「スイミー」のドローイングを用いた生成論的読解を視座として──
名古屋市立東丘小学校教諭 勝倉明以 - 常盤会寄宿舎という場──明治二〇年代の学生寮文化をめぐって──
早稲田大学大学院生 小峰隆広 - 太宰治『人間失格』草稿研究の可能性
白百合女子大学大学院生 武井理紗 - 『走れメロス』の社会学──裏切りをリセットするメロスとセリヌンティウスの相互殴打
摂南大学教授 樫田美雄
12:20~13:20
休憩
13:20~16:10
- 澁澤龍彦「ダイダロス」論──「滅びの美学」に対するパロディ
早稲田大学大学院生 浜地百恵 - 山室静とタゴールの児童文学──その背景にあるヒューマニズム──
青山学院大学大学院生 新田杏奈 - 「化石の森」論―情念と嫌悪の狭間にある虚無感について
関東学院大学大学院生 杉崎輝久 - 「中上健次がいた時代」というコンテクスト
日本大学豊山高等学校および岩倉高等学校教諭 冨田陽一郎
16:20~16:50
A会場 国際会議場第一会議室
学会三賞授与式
総会
学会三賞授与式
全国大学国語国文学会賞:関信介氏(三重大学)
文学・語学賞:髙橋諒氏(天理大学付属天理図書館司書研究員)
研究発表奨励賞:内俊晴氏(関西大学大学院生)
総会
閉会の辞 早稲田大学教授 福家俊幸