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令和3年度冬季大会(ハイブリッド開催)の参加方法について

冬季大会は12月11日(土)、12日(日)に、対面とオンライン〈Zoom〉によるハイブリッド方式で開催いたします。対面の会場は、國學院大學渋谷キャンパス5号館です。オンライン参加の方は、ネット会議アプリ「Zoom」を使用します。

参加申込みをされた方(含会員外)は、メールでお伝えするIDとパスワードにて、学会HPの大会特設ページにお入りいただき、参加方法・資料などを御確認ください。



第124回大会(対面とオンライン〈Zoom〉によるハイブリッド大会)

参加方法

○会員外の方もシンポジウム・研究発表会には参加できます。来聴を歓迎します。ただし、会場の密を避けるために、会員外の方は遠隔参加のみとなります

○参加希望者は、
https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLScow7GgJBLNfyOJvF_nt5gtfoLw9eVO3U_A_QoznpFASECNHA/viewform
にアクセスして参加申込みフォームより申し込んで下さい。会員の方でそれが難しい方は、大会案内要旨集をご覧下さい。
12月4日(土)必着で申し込んで下さい。

○申し込まれた方には、申し込み締切り後にメールまたは郵送にて参加のための情報をお伝えします。大会当日より数日前となります。

○新型コロナウイルスの感染防止のため、校舎内での自由な飲食はできません。

○大会に参加されるにあたって、発表要旨、オンラインで使用するスライドや動画、配付資料等の著作権は、発表者に帰属します。録画、録音、断りのない再配布、二次利用は禁止とします。

○新型コロナウイルス感染症の拡大状況によっては、全面オンラインに変更になる場合があります。

大会プログラム

第1日 12月11日(土)

11:00~12:00
12:15~12:45
12:45~
〈大会テーマ〉
なぜ時代は古典を必要としたのか―注釈の方法とその意義―

作品は読み継がれることで古典として伝わってきた。そして、人々は古典を読むために様々な典拠を渉猟し、注釈書を生み出してきた。つまり、古典を読み、理解するということは注釈活動そのものであり、私たちが注釈を読むことは、古典を読むことと等しいともいえよう。
本シンポジウムでは、古代以来の注釈活動に着目して、日本古典文学研究の歴史や課題を確認しつつ、日本文学研究の将来を展望してみたい。従来、作品ごとの注釈史を検討する機会は多くあったが、作品や時代、分野という領域を越えて注釈という「営み」を考えることは多くなかった。文学史の視点から、これまで幾度となく繰り返されてきた古典注釈の在り方をめぐる問題を再検討し、注釈する行為とはいかなるものかを考える。古典を注釈する人々に敬意を払い、現代における古典注釈の位相を確かめることができるだろう。

コーディネーター/司会  國學院大學准教授 渡邉卓


第2日 12月12日(日)

9:30~
10:00~15:30
10:00~12:10
12:10~13:10
13:10~14:40
10:00~12:10
15:00~15:30

報告

吉井美弥子代表

吉井美弥子代表

令和三年度冬季第124回大会は國學院大学で、新型コロナウイルス感染症拡大防止の観点から、対面とオンラインによるハイブリッド方式での開催となりました。シンポジウムの概要を報告します。


渡邉卓氏

渡邉卓氏

渡邉卓氏(國學院大学准教授)のコーディネートにより、「なぜ時代は古典を必要としたのか―注釈の方法とその意義―」をテーマに、《日本古典を「読む」=注釈活動》という観点から、時代横断的に『万葉集』『源氏物語』『古今集』の「解釈」と「鑑賞」の享受史、これを承けた近現代の古典理解と新たな創造を展望しました。

小松靖彦氏

小松靖彦氏

小松靖彦氏(青山学院大学教授)「近代的〈注釈〉とは何か」は、前近代の訓詁註釈を旨とする『万葉集』古注に対して、1900年代、「鑑賞・批評」重視の注釈書が現れ、1920年代、注釈書に〈本文・語釈・現代語訳・評釈〉の形式が出現し、教養書の文芸意識の中で「評釈」(「鑑賞」)が定着したことを指摘されました。そして戦時下、『万葉集』が日本精神の回路とされたように、「評釈」(「鑑賞」)は時代思潮の影響を受けやすく、戦後なお、注釈研究の課題は、客観的な「語釈」「解釈」と「評釈」(「鑑賞」)の有機的連繋であると述べられました。

陣野英則氏

陣野英則氏

陣野英則氏(早稲田大学教授)は「明治末から昭和前期の『源氏物語』―注釈と現代語訳、そして批評との関わり―」と題して、近代以降の『源氏物語』の注釈書・現代語訳・梗概書類を一覧し、明治期の「文学史の時代」に出発する近代の『源氏物語』享受史の二大潮流を示されました。すなわち、昭和12年頃までの「注釈書の時代」から昭和10年代の「論文・批評の時代」の流れと、大正期の「梗概本の時代」から昭和前期の「現代語訳の時代」への流れです。そして、昭和前期の国家主義的な批評は、この明治期以来の啓蒙的な「注釈と現代語訳の時代」の肥大化であったと位置づけられました。

浅田徹氏

浅田徹氏

浅田徹氏(お茶の水女子大学教授)「「敷島の道」のリセット―古今集の注釈―」は、和歌の理想とされた『古今集』注釈の歴史をたどり、中世の秘伝的解釈が江戸後期に崩壊、正岡子規と近代以降の学校教育制度によって、それまで「歌を学ぶ者」や実作歌人の歌道の伝習であった伝統歌道(敷島の道)が解体して、『古今集』が「学校でまなぶもの」となり、平安時代文学史の一部として、時代の心性の反映とされるに至った経緯を論じられました。戦時下、吉沢義則の国粋主義的な議論があったものの、中国文学の影響の深さが『古今集』『万葉集』についても浸透し、昭和50年代以降、『古今集』は古典文学史、日本文化の基盤と位置づけられるようになったとされました。

石川則夫氏

石川則夫氏

石川則夫氏(國學院大學教授)は「小林秀雄と日本古典文学―近代批評と古典の接近―」と題して、小林秀雄が、ライフワークとなった『本居宣長』に向かい合うまでの、和漢の古典文学に惹かれていく過程を示されました。小林は近代文学の混乱状況の検証から、次第に伝統への発見をしてゆくとし、その転機は1930年代でした。現代文学に不安を覚え、やがて、谷崎潤一郎を一つの指針に、古典文学に傾倒していきます。補足として、柳田国男・堀辰雄などとの幅広い文学者の交流も示されました。

ディスカッションでは、近代教育の浸透とともに変質していった注釈の担い手と、文芸的な「教養書」の果たした役割が印象的でした。量産された古典の「鑑賞」は、その自由度の高さによって、時代思潮を如実に反映するとともに、それらを享受した人々によって新たな現代語訳・評論、文学作品を創造しました。すべての論者に通じるのは、満州事変勃発から戦争へと向かう1930年代の「批評」において、古典文学研究の世界に一種の変化が起こったということです。日米開戦80周年という節目の12月、改めて、古典文学研究の「注釈」が胚胎する創造の力を考える機会になりました。

*詳細については、今後刊行する『文学・語学』に掲載される予定です。


研究発表奨励賞は、齋藤樹里氏(國學院大學大学院特別研究生)の「齋藤緑雨「油地獄」論―「地獄」を描く文体―」に授与されました。

受賞者

受賞者

(文責 広報・国際担当)

冬季大会(オンラインシンポジウム)の参加方法について

シンポジウムは12月5日(土)13時から、ネット会議アプリ「Zoom」のウェビナー機能を使って、会員限定の「リアルタイム中継型」で行います。事前申し込みは不要です。学会HPの大会ページからIDとパスワードを使って入る特設ページを設けましたので、そこを経由して簡単にご参加いただけます。参加される会員の方は別途お伝えするIDとパスワードで特設ページにお入りください。
なお当日の参加がかなわない会員や会員外の方には後日、学会HPのトップページからリンクを貼ったYou Tubeの動画配信で、シンポジウムの録画をご覧いただくことができます。シンポジウム終了後、改めてご案内申し上げます。


第122回大会(令和2年度冬季)

案 内

日にち 令和2(2020)年12月5日(土)〔6日(日)の日程は中止〕
会場 オンラインシンポジウム
問い合わせ先 國學院大學 大石泰夫研究室
全国大学国語国文学会事務局
zenkoku.office.2020@gmail.com
文学における「なには」「大坂」「大阪」

大阪の地は、古代の「なには」、近世の「大坂」、そして近代以降の「大阪」と呼称は変遷しましたが、長い時代にわたって文学の舞台となり、文学を生み出してきました。それぞれの時代に、「なには」「大坂」「大阪」はどのような土地で、どのような文学が生み出されたのか。また、「なには」「大坂」「大阪」は文学においてどのように機能したのか。各時代を代表する作家や作品を見据えつつ、そこに描かれる人々、その舞台、それを支えた人々の営みに思いを致し、大阪の文学の特色とその意義について考える機会と致します。


報告

第122回冬季大会はコロナ禍の終息が見えない中、全国大学国語国文学会として、初めての試みとなるオンラインでのシンポジウム開催となりました。慣れないシステムでの開催にもかかわらず、シンポジウムはつつがなく終了しました。本シンポジウムはYouTube動画にてもご覧になることが出来ますが(https://www.youtube.com/watch?v=VMWLbaD3Bhc)、以下簡単な概要をご報告致します。


『文学における「なには」「大坂」「大阪」』という題をかかげ、青木賜鶴子氏のコーディネート、田中宗広氏による司会によって、進められました。この地でどのような文学が生まれ、どのような役割を果たしたのか、大阪の土地と人々とその歴史と文学を多角的に捉えたものとなりました。

坂口弘之氏

坂口弘之氏

基調講演は、大阪市立大学・神戸女子大学名誉教授坂口弘之氏による、「大阪道頓堀は芝居町としていかに発展したか」と題されたものでした。坂口氏は多くの一次資料を示されながら、芝居町として開発されてきた道頓堀の隆盛について竹本義太夫や近松門左衛門の足跡を竹田出雲らの道頓堀興行界の関係の中で捉えて示しながら、出雲は座元と作者は不可分であるという考えのもと、作劇の環境を整え、竹本座、道頓堀興行界の若返りと発展を画策したのではないかとし、出雲・義太夫・近松(興行主・太夫・作者)の三者の関係を軸に捉えるべきだろう、と述べられました。

村田右富実氏

村田右富実氏

関西大学教授村田右富実氏は現代の「なには」の写真を背景に、「『万葉集』の「なには」」と題して、『万葉集』の四十例の「なには」を丁寧に検証しながら、「なには」は「やまと」から一番近い海であり、「やまと」の中心性を引きずる、ないしはそれを保ち得る地域であり、また同時に「なには」と近接する「すみのえ」の万葉歌も検証し、これらの歌例の精密な考察を通して、「すみのえ」は「なには」に内在するギリギリの王権の範疇から少しだけ外れるだけであり、そこに王権の外縁性も見えてくるのではないか、とされました。

矢内一磨氏

矢内一磨氏

堺市博物館学芸員矢内一磨氏は、「中近世の都市堺に生きた人々-『自戒集』と『日本永代蔵』を中心に」と題し、堺について言われる「中世の栄光、近世の停滞」に疑義を呈し、一休の『自戒集』と西鶴の『日本永代蔵』を繙きながら、大徳寺派の影響を受けた茶の湯文化の都市堺が、「始末」を重んじ、しかしここぞという時に大胆な決断をする姿を浮き彫りにされました。中世の堺は戦国大名から解放された自治都市であるが、一方、衰退という否定的見方をされる近世の堺は、巨大都市大阪の誕生によって、経済発展する都市から手堅い金融を行い、工業生産を基盤とする成熟都市に変化したのであり、都市そのものの性格が変化したのではないかと説かれました。

斎藤理生氏

斎藤理生氏

大阪大学准教授斎藤理生氏は、「織田作之助『木の都』の〈大阪〉」と題し、『木の都』に描かれた工夫をこらした様々な織田作之助の大阪の表現方法を明らかにされました。まず、代表作『夫婦善哉』と中編『アド・バルーン』を取り上げ、店の名前や食べ物の名前の列挙や、五感を刺激するような表現などを確認し、これらは空間的(水平軸)な叙述であると説明されます。一方『木の都』では歴史的な記憶(垂直軸)が描かれ、その歴史記憶が語り手の個人史に融解していき、事実と記憶、現実と虚構がない交ぜになっていると分析し、『木の都』は、歴史的記憶、個人の記憶の多層の記憶の物語として書かれているということを精巧な分析を通して述べられました。

ディスカッション

ディスカッションは、田中宗広氏の司会により、パネリストがそれぞれ補足ならびに全体の感想などを活発に述べられました。特筆すべきは、専門や取り扱う題材が違いながらも、大阪というの共通磁場における文学や芸能を軸に、それぞれの発表が見事に噛み合い繋がるという結果となったことです。また少ないながらも、グーグルフォームによる質問もあり、初めてのオンラインの試みとして大きな成果をおさめたと言えます。詳細は今後刊行される『文学・語学』に掲載される予定です。

(文責 広報・国際担当)



令和2年度の開催予定

第121回大会(令和2年度夏季) 6月6日(土)・7日(日) 東京学芸大学 中止

第122回大会(令和2年度冬季) 12月5日(土)・6日(日) 大阪府立大学



第120回大会(令和元年度冬季)

案 内

日にち 令和元(2019)年12月7日(土)・8日(日)
会場 岩手県立大学 滝沢キャンパス 講堂・共通講義棟
交通 IGRいわて銀河鉄道・滝沢駅下車、岩手県交通バス5分、徒歩15分
JR東北新幹線・盛岡駅下車、岩手県交通・岩手県北バス30分
問い合わせ先 早稲田大学 教育学部 石原千秋研究室
全国大学国語国文学会事務局・120回大会担当
zenkokudaigaku.waseda2017@gmail.com
テーマ 未知のものと出会うとき―文学におけるみちのくの発見―

第1日目 12月7日(土)

11:00~11:30
11:30~12:00
12:30~
13:00~
13:15~17:00 公開シンポジウム テーマ 未知のものと出会うとき―文学におけるみちのくの発見―

文学は、未知のものに出合った驚きを表現すること、言葉によって未知のものを表象する営みかもしれない。こうした未知のものをめぐる志向がもっとも鮮明に表れるのが、土地をめぐる問題である。だれがそれを未知のものとし、だれが未知のものとされるのか、なにが未知のものとされるのか。ここには、私たちの営みの根本的な問題がある。
東北はかつて陸奥(みちのく)と呼ばれて、「発見」されてきた。それが東北と呼ばれるようになったとき、新たな「発見」となり、何かが失われ、何かが付け加えられたのではないだろうか。あるいは、未知とされたものの側から、自らを未知のものと認識したものを見ることができたらどうなるだろうか。このシンポジウムでは「みちのくから東北へ」という問題を設定することで、「未知のもの」という視座から文学という営みをとらえ返してみたい。
 なお本学会では、東北のこうした特性を扱ったシンポジウムを今までにも行い、それを『文学・語学』にまとめてきた(第191号、第212号)。今回はその時の議論も振り返りつつ、議論を深めたい。

 
 
17:30~
 

第2日目 12月8日(日)

研究発表会要旨pdf

 
10:00~11:20
 
11:30~12:10
12:10~13:10
 
13:10~13:50
 
14:00~15:20
15:30~16:30

報告

第120回大会(於岩手県立大学)が無事終了いたしました。「未知のものと出会うとき―文学におけるみちのくの発見―」と題されたシンポジウムについて、以下に概要をご報告いたします。

大石泰夫氏(國學院大學教授)のコーディネートにより、文学とは「言葉によって未知のものを表象する営み」であるとして、東北がかつて「陸奥(みちのく)」と呼ばれて「発見」され、さらに「東北」と呼ばれることで新たに「発見」されたとき、何が失われて何が付け加えられたのか、という問いかけがなされました。それを受けて、小野正弘氏(明治大学教授)、津田眞弓氏(慶應義塾大学教授)、豊島秀範氏(國學院大學名誉教授)らによる講演とディスカッションが行われました。

全国大学国語国文学会第120回大会

小野正弘氏は、「みちのくの言葉から東北方言へ―その文学との関わり―」と題して、「東人の声こそ北にきこゆなれ みちのくによりこしにやあるらむ」(『金葉和歌集』)の解釈を例に方角としての「北」と動詞+完了助動詞の「来た」との二重性について指摘するなど、ことばによる「みちのくの「発見」」について述べられました。


全国大学国語国文学会第120回大会

津田眞弓氏は、「みちのくが未知の世界に出会う―「文化露寇」の衝撃を考える」と題して、『絵本太閤記』や『北海異談』などの例をもとに、文化年間(1804~1818年)の出版統制における「露寇」の多大な影響について指摘されました。あわせて、仙台藩で作られた能『神皇(じんのう)』も紹介されました。


全国大学国語国文学会第120回大会

豊島秀範氏は、「古歌によるみちのくの発見と再生─菅江真澄の詠歌を中心に─」と題して、菅江真澄(1754年生~1829年没)が東北各地を旅し風土や習慣などを記した資料における自作歌の特徴や古歌引用数の変遷を指摘し、従来は主に民俗学的観点から研究されてきた菅江真澄の著作が文学研究にとっても有用であることを述べられました。


全国大学国語国文学会第120回大会

ディスカッションでは、大石泰夫氏による司会のもと、まず登壇者間での質疑応答が行われ、その後それぞれの講演に対する会場からの質問も取り上げることで議論が深められました。本学会ではこれまでにも東北の特性を扱ったシンポジウムを実施し、機関誌『文学・語学』(第191号、第212号)において提示してきた経緯があり、今回のシンポジウムはそれらの内容も振り返りながら進められました。
詳細については、今後刊行する『文学・語学』に掲載される予定です。

(文責 広報・国際担当)



第119回大会(令和元年度夏季大会)

案 内

日にち 令和元年(2019)年6月29日(土)、30日(日)
会場 二松學舎大学1号館中州記念講堂(九段キャンパス)(1日目)
二松學舎大学1号館401・403教室(九段キャンパス)(2日目)
交通 地下鉄東西線・半蔵門線・都営新宿線「九段下」駅下車、2番出口より徒歩8分
地下鉄半蔵門線「半蔵門」駅下車、5番出口より徒歩10分
JR中央線(総武線)、地下鉄有楽町線、東西線、南北線「飯田橋」駅下車、徒歩15分
JR中央線(総武線)、地下鉄有楽町線、南北線、都営新宿線「市ヶ谷」駅下車、徒歩15分
*会場のホームページアドレス http://www.nishogakusha-u.ac.jp/about/campus/a7.html
問い合わせ先 二松學舎大学 文学部国文学科 原由来恵研究室
Email: zenkoku.nishogakusha.h28to30@gmail.com
テーマ 日本を紡ぐ歌謡―次世代への提言として

第1日 6月29日(土)

11:00~12:00
12:00~12:30
12:45~
13:30~
13:40~17:00 シンポジウム テーマ 日本を紡ぐ歌謡―次世代への提言として

AIが社会の形を決めるようになった日本。そこに住まう我々は今後どのようにあるべきなのか。
古代から日本人が営々と紡いできた歌謡。それは、広く文学・芸能の諸分野に及んで日本の「心」を託してきた。そこで本シンポジウムでは歌謡をテーマの主軸に置き、日本という国を再発見するとともに、真の豊かさや生きるための思考力とは何かを問い直して、次世代へ一提言を諮ります。

 
13:40~15:10
15:40~17:00
15:45~17:00
17:30~
 

研究発表会要旨pdf

第2日 6月30日(日)

10:00~12:10
 
 
 
 
 
 
12:10~13:10
13:10~15:20
 
 
 
 
 
 
15:30~16:15
16:30~17:30

報告

元号が「令和」と改まった初めての大会である119回大会(於二松學舍大学)が盛会のうちに無事終了いたしました。「日本を紡ぐ歌謡―次世代への提言として」と題されたシンポジウムについて以下報告致します。

全国大学国語国文学会第119回大会

原由来恵氏の司会のもと「AIが社会の形を決めるようになった日本。そこに住まう我々は今後どのようにあるべきなのか。古代から日本人が営々と紡いできた歌謡。それは広く文学・芸能の諸分野に及んで日本の「心」を託してきた。そこで本シンポジウムでは歌謡をテーマの主軸に置き、日本という国を再発見するとともに、真の豊かさや生きるため御思考力とは何かを問い直して、次世代へ一提言を諮ります」という明確な目的を掲げて、現在本学会名誉会長である中西進氏が「歌のこころ」について、二松學舍名誉教授、お茶の水女子大学名誉教授の佐藤保氏が「詩のこころ」について、二松學舍の磯水絵氏が「詩歌と舞楽」としてパフォーマンスという側面をお取り上げになり、このお三方の講演の後に、狂言師大蔵吉次郎氏のお話と実演が加わるという多彩なプログラムでした。

全国大学国語国文学会第119回大会

中西進名誉会長は、「歌のこころ」と題してまず、「和歌(歌)」と「歌謡(唱)」の違いを、文字性と非文字性にあることを確認し、それが混在しているのが『万葉集』ではないかとし、家持などの例を引かれました。時代が進み、文明が進むにつれ、人は常に古代への回帰をひとつの逃げ道として見つけるが、それはいわば古代の「もの」への回帰であり、それを口承(唇ことば)によって表したのが平安時代の「歌謡」ではないかと続けられ、『梁塵秘抄』の例を示して、魂への憧れ(「もの」へのあこがれ)という概念を説かれました。仏さえも絶対的「もの」、絶対者として存在しないということ説明され、また「もの」は「鬼」に通じ、そこへの回帰というところに平安時代の精神史が書かれると述べられました。さらに『閑吟集』を引き、中世は「死の季節」であり、死の風景に閉ざされた時代の人間たちというものがあらわされており、更に近世における歌謡のひとつの姿として『松の葉』から引いて、散る桜で比喩される離散親子の姿が浮かび上がる句から、歌謡は魂の救済以外の何物でもないということを明示し、歌謡は魂の根幹を歌い続けて来たのであると結ばれました。

全国大学国語国文学会第119回大会

「詩のこころ」と題された講演で、佐藤保氏は、まず、「詩のこころ」とは何を指すのかという定義を『毛詩正義』を引き「詩は志を言う」という概念を、「志」は心が動くこと、心がどこかに行こうとする動きのある状態であり、「心」が胸の中に生じ動き出す、それが詩である、すなわち詩は志を言葉で言い表すことであることを説かれ、さらに『毛詩大序』(「詩は志の之(ゆ)く所なり」)を引いて、わかりやすく丁寧に解説されて「詩のこころ」を確認し、『論語』(陽貨篇)の引用を示して儒家が『詩経』を重んじ大切にしたことを示されました。それに対して儒家に対立するような老荘の意見も少し紹介され、また漢字の「形・音・義」という特徴を押さえられて押韻のことを確認し、最後に「毛詩大序」を言い直している白居易『新楽府 並びに序』を引き、新しい詩の世界を開こうとしたことを示されました。最後に『新楽府』から「官牛」という詩を引いて、詩人が詩によって為政者を糺すという目的もあることを示されました。

全国大学国語国文学会第119回大会

次に磯水絵氏は「詩歌と舞楽」の講演において、パワーポイントを駆使されて、詩歌が舞楽の中にどのように取り入れら、変遷したのかを述べられました。まず雅楽は元をただせば、輸入音楽、輸入舞踊であり、舞楽の歌は通常中国語であったということを、『古事記』、『日本書紀』の記述を引いて日本の音楽史を辿りながら示されました。平安貴族にとって詩歌管弦が必要不可欠な教養であり、その象徴として清涼殿の御厨子には貴重な楽器が置かれていたことなども紹介されました。次に中国においては初唐に各地方別の十部伎が置かれたが、日本の雅楽は西域起源の高度に発達した「燕楽」と呼ばれた宮廷舞楽を導入したものであり、同時に百済、高句麗の音楽も伝わったことを示されました。明治期以降雅楽が神道系のものと捉えられることが多いが、本来の雅楽は平等院鳳凰堂の雲中供養菩薩などに見られるように、極楽の現在を表すものと捉えたれていたと述べられました。次に『源氏物語』に出てくる舞楽の場面をそれぞれ検証し、光源氏は現在の若者が英語の歌を流暢に歌うように、国際語である中国語で極楽に囀る迦陵頻迦のように「詠」じたということを話されました。「詠」と「囀」は10世紀後半には、15曲数えられたが13世紀後半には6曲と半減すると説明され、定家自筆本『奥入』などを引いて「詠」に和訓が施されるようになり、中国語によるそれらが次第に消滅していったことを示され、一千年の間に雅楽も変容しているとして、変化する文化の姿を強調して結ばれました。

全国大学国語国文学会第119回大会

最後は、狂言師大蔵吉次郎氏が、司会の原由来恵氏との対談形式で歌謡がどのように狂言に取り込まれていったのかという話題を取り上げました。まず狂言とは、対話を中心とした劇であり、効果音なども言葉や仕方で示し、おおらかな笑いを表現する中で、人間の特色に鋭く切り込むこんでいる、そういう劇であることを大まかに説明されました。そして実際に大蔵氏がそれぞれ、狂言の曲目『鴈雁金』から『和漢朗詠集』の歌をひく部分、『土筆』から『新古今和歌集』、『古今和歌集』「仮名序」や、『方下僧』から、そのまま狂言の詞章となり、舞も伴われている『閑吟集』の部分を取り上げて、壇上に用意された畳敷きのスペースにおいて演じるという学会のシンポジウムとしては、きわめて刺激的なパフォーマンスを披露されました。

原由来恵氏が終わりに、文学、芸能、芸術へと発展していくという歌謡の重要性を確認されて締めくくられました。



第118回大会(平成30年度冬季大会)

案 内

日にち 平成30年(2018)年12月1日(土)・2日(日)
会場 明治大学(駿河台キャンパス)リバティータワー・2階(1日目)
明治大学(駿河台キャンパス)リバティータワー・7階(2日目)
交通 JR中央線(総武線)・御茶ノ水駅下車、御茶の水橋口改札より徒歩5分
地下鉄千代田線・新御茶ノ水駅下車、B3b番出口より徒歩5分
地下鉄・半蔵門線、都営新宿線「神保町」下車、A5番出口より徒歩5分
*会場のホームページアドレス
https://www.meiji.ac.jp/koho/campus_guide/suruga/campus.html
問い合わせ先 早稲田大学 教育学部 石原千秋研究室
全国大学国語国文学会事務局・118回大会担当
Email: zenkokudaigaku.waseda2017@gmail.com

○会員の方々へ要旨集をできるだけ早くお届けするために、要旨集には司会者のお名前は入れてありません。レジュメ資料集には司会者のお名前も入ります。事前に出張依頼状が必要な方、または大会についてのお問い合わせは、事務局までご連絡ください。


第1日 12月1日(土)

11:00~11:30
11:30~12:00
12:30~
13:00~
13:15~17:00 公開シンポジウム テーマ 物語が不可能になった時代の中で

今日、物語を作るAI(人工知能)の開発が試みられている。人間の知能を模倣するAIは、人間らしくあろうとした結果、物語を作る能力を手中に収めようとする。物語を作ることは人間の知的営みの基底にある。長らく人文科学のテーマとなってきた人間とは何かという問いは、いまや科学技術こそが明らかにすべき問いとなってしまった。
振り返ってみれば、人文科学の領域において、構造主義以降の知的展開で俎上に載せられたのは物語であった。レヴィ=ストロースは「野生の思考」によって西洋中心主義の知の枠組みを相対化したが、その際には神話が分析対象となった。さらに神話や昔話の構造は、プロップやトドロフ、グレマス、バルトといった多数の論者によって理論化された。ジェラール・ジュネット『物語のディスクール』を始めとして物語の表現形式に注目した語りの分析(ナラトロジー)も盛んに行われた。これらの研究は日本文学研究にも大きな影響を与え、80年代半ば以降の語り論やテクスト論の隆盛をもたらした。
この知の展開は歴史学にも広がり、ヘイドン・ホワイト『メタヒストリー』は大きな反響を呼んだ。極論すれば、歴史が引喩・換喩・提喩・アイロニーという四つのレトリックに還元されてしまったからである。歴史の根拠は物語によって揺さぶりをかけられ、そのインパクトは「歴史修正主義」をめぐる議論や実証主義の復権といった問題となって今日まで続いている。
これは、歴史と物語という二項対立が脱構築されて「歴史は物語である」という言明が現れた結果、その言明への違和感と否定が浮上したという事態ではないか。
この違和感は、さらに事実と虚構という二項対立を脱構築したときに明らかになるだろう。「すべてが虚構である」という言明が否であるなら、虚構は事実とどのように関係づけられるのか。あるいは、「大きな物語の終焉」の後、どのような物語が力を持つのか。
いま量子物理学の分野では宇宙の複数性が論点となっている。もし宇宙が複数あるならば、 いま量子物理学の分野では宇宙の複数性が論点となっている。もし宇宙が複数あるならば、〈いま・ここ〉にある私たちの生もこの世界も偶然あるにすぎないことになる。そう考えれば、「すべてが虚構である」という言明が否か是かという問い自体が無化されるだろうし、〈はじめ〉と〈終わり〉を因果関係で意味づける物語の出番はない。一方で、事物はたしかに
実在し、それは数理的にしか記述できないとする哲学的実在論や科学的自然主義も注目され始めている。そこにはもう「大きな物語」はおろか、いかなる物語も生まれる余地さえないように思える。私たちの「知」はもう物語を必要としないのである。
こうして物語に「ノン」が突き付けられたいま、むしろ「物語とはなにか」という問いが切実に見えてくるのではないだろうか。人文学の知は物語をどのように捉えることができるのか、そもそも物語は可能なのかを議論したい。

 
 
 
17:30~
 

第1日 12月2日(土)

研究発表会要旨pdf

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報告

第118回大会(於明治大学)が無事盛会のうちに終了致しました。以下シンポジウムについて報告致します。「物語が不可能になった時代の中で」と題し、物語は可能なのか、そもそも物語とは何かという大きなテーマを掲げ、歴史と虚構という尽きない命題を意識しながら人工知能の時代における物語の有り様(或いはそれを創り出す人間の立ち位置)を探るという試みでした。

古代神話の世界から松本直樹氏、江戸文学から森田雅也氏、近現代文学から田中励儀氏のお三方を迎えて、それぞれのお立場から、ご専門に引き寄せて自由にテーマに切り込んで頂きました。


中西進会長は開会の辞において、この大きなテーマが内包する歴史と虚構の問題などをギリシャ・ローマの古典に言及して啓発されました。更にはそこからユーロセントリック(ヨーロッパ中心主義)的な文化のありように疑問を投げつつ、会の末永い存続を祈念された言辞は印象的でした。


司会の生方智子氏から、自然言語処理などの人工知能による研究が進む現代、従来の人文学の世界から人間とはどのような存在か、人間の心はどのように働くのかという、人間を巡る内からの問の有効性を考えたいという主旨説明がありました。


松本直樹氏

松本直樹氏

最初の登壇者である松本直樹氏(早稲田大学)は、『古事記』『日本書紀』が歴史のはじめに神話をおき、列島各地の神話を取り込みながら、それを利用して国家を説くことに注意を向け、その取り込みの例として大国主神の記紀ならびに風土記における数多いその異名について取り上げて示されました。共同体における個々の神々を小さな国々が取り込み、更に大和王権に取り込まれいくという図式を明示なさり、大和王権は、例えば出雲の国作りの大神を無視することなく、あえて「大国主神」として公認するという形で、神話力に頼りながら、国家建設の由来を創りあげたことを示して、特定の力が意図的に創りあげた〈神話〉を利用することによって、精神史上の国家建設を目指して『古事記』が作られたと述べられました。多かれ少なかれ「日本」という国号が千三百年以上生き続けて来たと感じられるのならば、そこに国の歴史としての物語があり、その基層には、日本になる以前からこの列島に生きて来た人々の言葉が力を持ち、その言葉(或いは物語)の累積があって、まさにその累積の上に現代人は生きていると結ばれました。


森田雅也氏

森田雅也氏

次に江戸文学の立場から、森田雅也(関西学院大学)氏は、物語の読者に焦点をあてて、江戸期の書写・印刷の世界に触れ、更に具体例として『奥の細道』を取り上げて、物語(紀行文)を出版意図から読みかえる試みをなさいました。

まず、書写の時代には後世への伝播という意図が大きかったであろうと始められました。次にキリシタン版における印刷技術の導入や古活字版など、読ませようという啓蒙的な試行錯誤の時代を経て、製版本の時代へ、と印刷の歴史を振り返りました。嵯峨本の美しさの追求には読者獲得の意図の芽生えが見て取られるのではないかと出版における読者意識に注意を喚起されました。製版本の時代における出版隆盛の背景として、読者の拡大や高い識字率そして経済と交通網の発展をあげ、17世紀以降、三都と地方が船で結ばれるようになる関係を指摘なさいました。また次第に赤穂事件のようなものは、出版規制がなされるようになり、よって新たな写本の時代が起こり、禁制本を書写することが起こってきたのですが、並行して、物語的には「今」を描くことが要求されようになったとも述べられました。『好色一代男』などが三都において同時に出版され、評判を博して良く売れ、数日遅れてその他の都市で出版されるというシステムが出来上がって来たことによって、生活に余裕のある読者の要求にあわせた読み物などが出版されるようになったなど、出版と読者に関して多様な内容が盛り込まれました。

最後に「挑発テーゼ」として、出版まで13年もの時間がある『奥の細道』を取り上げ、出版まで何故それだけの時間が掛かったのかという問題提起をしました。そして、『奥の細道』における、書かれた当初と出版時における目的意識の変化を指摘し、当初は談林俳諧の文化圏に入り込み、仲間を広げていく目的があったろうが、その後蕉風俳諧が拡がるにつれ、『奥の細道』が蕉門俳諧の「聖典」的な書物として、どのように読者を獲得していくべきかという意識がはっきりしてきたのではないであろうかと締めくくられました。


田中励儀氏

田中励儀氏


質疑応答

質疑応答

最後は、近現代文学から田中励儀(同志社大学)氏の泉鏡花と柳田国男の交流についてでした。鏡花と民話の関わりを柳田国男との関わりを通して話されました。二人は共にまだ若い時期、柳田がまだ婿養子に入る帝大生の時代からの知り合いであり、柳田の若い頃のちょっとしたエピソードを鏡花はその後小説に取り入れた一方、『遠野物語』の基となった話を提供した佐々木喜善その人も、鏡花に強い憧れを抱き良くその夢を見、年賀状などを交換し交流したという柳田人脈と鏡花の関わりを紹介されました。そして鏡花と柳田がそれぞれに民話などにいかに強い興味を持っていたかといういうことに触れ、その中でも特に有名である「オシラサマ」の例を取り上げ、「オシラサマ」は「白山権現」である、という柳田の説(『巫女考』)を、その後柳田がそれを撤回した後も、鏡花は自身の物語に取り入れていた(『山海評判記』)ことをなどを明らかにしました。二人の文芸上の密接な繋がりを示すと同時に、鏡花作品における、いわゆる「オシラ遊ばせ」という儀礼的行為との関わりも示され、その他の民間伝承や信仰が小説の中に取り込まれる姿を説明されました。そうして民話というものが否定される現代社会にあって、逆に交通網の発達や大量出版とその流通によって、掬い上げられる民話や伝承もあることにも言及され、これらを通して、人工知能には書けなであろう、人同士の文化的交流と影響関係の上に出来上がる小説の有り様を示されました。

(文責広報・国際担当)



第117回大会(平成30年度夏季大会)

案 内

日にち 平成30年(2018)年6月2日(土)、3日(日)
会場 二松學舎大学中州記念講堂(九段キャンパス)(1日目)
二松學舎大学中州記念講堂1号館401・403教室(九段キャンパス)(2日目)
交通 地下鉄東西線・半蔵門線・都営新宿線「九段下」駅下車、2番出口より徒歩8分
地下鉄半蔵門線「半蔵門」駅下車、5番出口より徒歩10分
JR中央線(総武線)、地下鉄有楽町線、東西線、南北線「飯田橋」駅下車、徒歩15分
JR中央線(総武線)、地下鉄有楽町線、南北線、都営新宿線「市ヶ谷」駅下車、徒歩15分
*会場のホームページアドレス http://www.nishogakusha-u.ac.jp/about/campus/a7.html
問い合わせ先 二松學舎大学 文学部国文学科 原由来恵研究室
Email: y-hara@nishogakusha-u.ac.jp
テーマ AI時代に国語学・国文学は何をすべきか、大学では何ができるのか
AIの進化著しい昨今、人の営みである文学・語学が果たす役割は何か。未来に向けて人文学の可能性と指針、教育のあり方を問う

第1日 6月2日(土)

11:00~11:30
11:30~12:00
12:30~
13:00~
13:15~17:00 シンポジウム テーマ AI時代に大学、国語学・国文学は何をすべきか、何ができるのか

将棋や囲碁車の自動運転でよく知られたAIは様々な分野に導入されようとしている。今後教授職をもAIに代わるかもしれない時代である。2045年にはシンギュラリティと呼ばれるAIが人間の知性を超える技術的特異点に到達するとも言われている。果たしてAIが文学作品を作り、AIが文学・語学研究を行う時代は訪れるのだろうか。
そこで、今回は4人の専門家を迎え、語学・文学研究の役割と人のあり方を見つめ、未来への我々の役割について探っていく。

 
13:15~14:10
14:20~15:15
15:45~17:00
17:30~
 

研究発表会要旨pdf


第2日 6月3日

10:00~12:15
12:15~13:15
13:15~14:30
14:45~15:30

報告

第117回大会は「AI時代に大学、国語学・国文学は何をすべきか、何ができるのか」という時代を牽引する刺激的なテーマを掲げて、他分野の講演者を迎え大きな盛り上がりを見せて無事に終了致しました。以下4つ行われた基調講演と更に「漱石アンドロイド」による朗読、質疑応答の模様をお伝え致します。


全国大学国語国文学会第117回大会

基調講演前半は、人工知能の専門家山川宏氏と大学におけるAI導入に詳しい船戸高樹氏のお話である。

まず、山川氏はAIは学習する機械だが、単に学習するだけではなく、それらを使い回していく深層学習(ディープラーニング)ができる機械だという基本的な話から、AI対人間の将棋対戦などを取り上げて、ここ5年ぐらいのAIの進歩を端的に説明なさった。将来人間が出来ることを同じようにこなせる汎用型AIが可能となり技術が高度に進む(技術的特異点=シンギュラリティ)社会という概念にまで及び、最後は自動運転同士の車が衝突する瞬間の0.5秒前に、相互の車に搭載されたAI同士が調停するという、星新一賞グランプリを取った八島游舷作SF『ファイナルアンカー』を紹介し、未来社会を垣間見せ締めくくられた。

全国大学国語国文学会第117回大会

船戸高樹氏は、あと20年ぐらいで大学がAIに取って変わられる可能性について、経済面、事務面、教育面において説明し、消える教職員、残る教職員というようなシビアな側面を浮き上がらせた。特に興味深かったのは、20年後のAI時代を生き抜くことになる今の学生達に対して(コンピューター・リテラシーの科目のように)AIリテラシーのような科目を設け、人材養成などをする必要があるだろうとの具体的提言であった。

シンポジウム後半最初は、AI時代を迎える文学の側から、石原千秋氏が「技術革新と語学・文学」という題目で話された。骨格には基本的に芸術的創作である文学においてAIが出来ること、出来ないことがあった。漱石の小説のほぼ全てが「一人の女性と二人の男性」という構図を持つが、テイストがそれぞれ違うことを示し、芸術における「異化作用」に触れ、日常的ではない文脈や言葉使う「コンテクスト外し」がAIでは出来ないのではないかということを述べ、会場を惹き込んだ。

全国大学国語国文学会第117回大会

次が、ハイライトである二松學舍の漱石アンドロイドによる夢十夜朗読である。これは、想像よりもインパクトが強かった。三次元の姿かつ音声を伴って現れた漱石の魅力に言葉は要らなかった。この後、二松學舍の増田裕美子氏が学園祭におけるアクティブラーニングの一環として、シェイクスピア劇における漱石アンドロイドの活用などについて説明。目に見える形で過去の作者と対峙できるという経験の重要さを強調し、人間とは何かという根源的問題を考えるよすがとなると述べられた。

最後に各パネリストの補足と質疑が行われた。中西進会長が国語国文学会としてAIは何が出来て、どのような利用が出来て、将来的にはどうなっていくのか、どんなふうにやっていったらいいのかに論の焦点を絞ってはどうか、と発言された。まさに当該シンポジウムの目的意義について参加者全員が考えていたことでもある。人減らしがAI導入の目的ではないという意見や、またAIは将来的には主体を持つのかという質問も出たが、近い将来可能になる全自動自動車の判断能力などは、その限りにおいて主体性と呼べるものであり、AIの世界における「主体」の定義自体が複雑なものであることもわかった。他、俳句を作るAIというところから、AIが人間の解釈の幅を広げ、文化の幅を広げ、可能性を広めてくれるのではないかなど刺激的な意見や質問が登壇者からも会場からも出た。人工知能AIについてはおそらく、会場のだれもが人間の仕事を奪うという猜疑的側面と技術の輝かしい側面という、二つの相反する面を意識していたが、更なる興味も湧出した。企画側の努力と二松學舍の漱石アンドロイドのインパクトと共に、全体にポジティブなトーンを残して成功裏に終わったと言えよう。



第116回大会(平成29年度冬季大会)

案 内

日にち: 平成29(2017)年12月2日(土)、3日(日)
会場: 富山大学黒田講堂(五福キャンパス)(1日目)・
富山大学人文学部(五福キャンパス)(2日目)
〒930-8555富山市五福3190
交通: 富山駅(南口側)から富山大学五福キャンパスまで
・市内電車で大学前行(大学前終点)で約15分
・バスで3蕃のりば 高岡駅前、新高岡駅、小杉駅前、新港東口、新湊車庫前、富山短大※富山大学前経由、富大附属病院循環、北代循環の各行き(富山大学前下車)で約20分
・タクシーで約15分
※会場のホームページ・アドレス:
https://www.u-toyama.ac.jp/access/gofuku/#gofukuCampus
問い合わせ先: 富山大学人文学部 呉羽 長 研究室
E-mail: kureha@hmt.u-toyama.ac.jp
テーマ: 日本海を望む詩心
【趣旨】北陸を含んで日本海沿岸の個々の地域では、記紀・万葉から現代に至るまで、その地域に根ざした歌謡・伝説などのほか、様々な知識人の文学創作の舞台となっています。今大会では、こうした日本海的風土体験の中で生み出された作品のうち、抒情的作品に注目し、その新たな意味を問おうと考えました。まず第一日目は、北陸における大伴家持に関しての、創作者(作家・作詞作曲家)の立場からの基調講演・歌曲披露、及び北陸にちなむ近現代の詩人をめぐっての文学研究者による講演をもって公開講演会を企画しました。また、本テーマを同日の公開講演会に限らず、大会全体のそれとして二日目の研究発表会にも及ぼすこととし、自由発表に加えて日本海的地域性も帯びた抒情的作品を多様な視点から深く追究する発表を募ることとしました。二日間を通し、会員の皆様が中央から見た日本海的周縁の文学の特質、地域の文学から及ぼされる中央への作用に思いを致すことにもなり、日本海が日本人の思惟と表現にとって何であるのかという問題に視野を広げる契機となればと考えます。

第1日 12月2日(土)

11:00~11:30
11:30~12:00
12:30~
13:00
13:15~17:20 基調講演・公開講演 テーマ 日本海を望む詩心

(会場:黒田講堂ホール)

※会員以外の一般の方も御参加になれます。但し、御希望の方は、富山県高志の国文学館(076-431-5492)に事前申し込みが必要です。参加費は無料です。お席に制限がありますので、受け入れ人数(350名)に達し次第受付を終了致しますので、御了承下さい。

13:15~15:20
15:40~17:20
 
17:50~19:50
 

研究発表会要旨pdf

※研究発表会要旨のpdfファイルに2日目の研究発表開始時刻が「9時20分」とあるのは間違いで、本ホームページに記す通り、B会場もA会場と同じ午前10時00分が発表開始時刻です。要旨ファイルの記入ミスをお詫びします。


第二日 12月3日(日)

9:30~
10:00~12:15
13:15~15:30(A会場)
13:55~15:30(B会場)
15:35~15:45

報告

全国大学国語国文学会第116回大会

第116回大会も盛会のうちに無事終了しました。大会テーマは「日本海を望む詩心」。趣意文にあるように、1日目の講演会は、『万葉集』を代表する歌人大伴家持をはじめとする歌人・詩人等と所縁の深い北陸の地らしい、且つ趣向を凝らした内容でした。以下、4本の講演(2本の基調講演と2本の公開講演)の内容につき紹介します。



全国大学国語国文学会第116回大会

基調講演2本の講演者は、作家の五木寛之氏と、作家であり音楽家でもある新井満氏である。初めの五木寛之氏「家持と親鸞」は、まずは五木氏自身の古典体験から語られた。かつて戦前・船中に皇国史観に基づき日本の古典が悪用された記憶から、古典から遠離っていたこと、しかし三十代から古典と向き合い始め、小島憲之氏や中西進氏との親交もあって、六十代より特に『万葉集』への関心を深めるようになった由吐露。家持も親鸞も北陸の地に一時期住んで、共に北陸の自然から大きな影響を受けたであろうことを指摘。加えて、家持の歌にしろ親鸞の和讃にしろ、声を上げて朗唱すべきもので、リズムと音の響きが非常に重要であるとの指摘があった。

全国大学国語国文学会第116回大会

次の新井満氏「音楽と文学の遭遇―もし大伴家持の和歌にメロディーをつけたなら―」は、文学者であるのみならず音楽家(「千の風になって」の作曲者)としても著名な氏が、中西進氏から『万葉集』の和歌に曲を付けて学会で披露して欲しいと依頼を受けて、実現したもの。氏は『万葉集』全体を通読した上で、家持の在越詠歌の「立山の賦」(巻十七の長歌1首と短歌3首)を選び、そのエッセンスを氏が五七調の歌詞にして曲を付けたという。壇上で当該の楽曲が、氏自身の歌う形で披露され、聴衆を魅了した。

続く公開講演は、研究者による地元の文学に関するもの2本。上田正行氏「千石喜久という詩人―「日本海詩人」を視野に入れつゝ―」は、千石喜久という大正末から昭和初期にかけて富山で活動した在郷詩人・ジャーナリストに関するもの。千石喜久の文芸誌・同人詩誌編集者としての足跡、交友関係や、創作した作品の特徴を丁寧に辿り、千石の地元への貢献や史的意義を評価する。地方文人の事績検証の一例としても、興味深かった。

最後の佐藤伸宏氏「室生犀星の〈抒情小曲〉―俳句と近代詩―」は、再生最初期の詩集『抒情小曲集』が従来俳句的とされることの意味について、改めて考察したもの。俳句の特徴である完結性を持つ体言止めや終助詞「ぞ」を多用することで生まれる、リズムや意味の不連続性が『抒情小曲集』の特徴だとする。同時期の北原白秋や萩原朔太郎らの詩の多くが短歌を背景とし、リズムも意味も有機的に連関し全一性を有するのと対比することで、犀星の独自性を際立たせ、説得力を持つ内容であった。



以上が1日目の公開講演です。五木寛之氏、新井満氏の基調講演は本学会の中西進会長と両氏との親交があって実現したもので、当日は会員以外に多くの一般の方達が講演を聴きに参集され、実に盛況でした。富山県の石井知事が冒頭で歓迎の挨拶をされ、会場校のスタッフの方達の温かな心遣いもあり、とても気持の良い大会でした。2日目の、会場を富山大学五福キャンパスに移しての研究発表も、地元に関連するテーマの発表を含む充実した内容で、活発な質疑応答が交わされたことを申し添えます。

なお、当該年度の広報担当常任委員の不手際から、大会参加報告をHP上にアップするのが大変遅くなってしまいました。会場校をはじめとする関係各位へ、深くお詫び致します。



第115回大会(平成29年度夏季大会)

案 内

日にち: 平成29(2017)年6月3日(土)、4日(日)
会場: 早稲田大学中央図書館併設・国際会議場・井深大記念ホール(1日目)・早稲田キャンパス11号館(2日目)
〒169-8050東京都新宿区西早稲田1-6-1
※会場(キャンパス)の地図のアドレス:
https://waseda.box.com/s/sw64q34bk8a88j88lnh88mul5z0dhlfb
交通: 山手線・西武新宿線 高田馬場駅から徒歩20分、東西線 早稲田駅から徒歩5分、副都心線 西早稲田駅から徒歩17分、都バス 学02(学バス)高田馬場駅 -早大正門、荒川線 早稲田駅から徒歩5分。
※会場のホームページ・アドレス:https://www.waseda.jp/
問い合わせ先: 早稲田大学教育学部国文学科 石原千秋研究室
E-mail: zenkokudaigaku.waseda2017@gmail.com
テーマ: 小さい窓から文化を語る
【趣旨】文学研究や日本語研究も細分化して、同じ専門でも他ジャンルや他作品の研究はわかりにくくなっています。たしかに、おなじジャンルの研究者同士でさえ、その研究の意義がわからないことがあるのが現実です。ある年配の研究者は「高度に専門的な特殊研究」を「独善的」とさえ述べて、人文学を挑発しています。この挑発に乗らない手はありません。
いま科学技術の発展によって、私たちが望むことなら、良いことでも悪いことでも、ほぼ何でもかないそうに思います。その意味を考え、何をやってもよいわけではないと立ち止まらせるのも、世の中を変えていくのも、文化の仕事です。たとえば、臓器移植のために人間の「死」を法律で定義しようとしたとき、その法案を提出した政党は、投票に当たって党議拘束をかけませんでした。「死生観は最終的には個人の問題だ」というのがその理由でした。政治が医学の問題を文化にゆだねた瞬間でした。これはとてもはっきりした例ですが、こういうことの連続が、私たちの日常だと言ってもいいでしょう。
しかし、それは見えにくいものですし、ましてや人文学が私たちの文化にどのように関わっているのかは、一般の方にはほとんど見えません。そこで、できる限り小さく専門的な問題設定をして、その研究の意義を他の時代の専門家(できれば一般の方にも)にもわかる言葉で語る試みからはじめてはどうでしょうか。私たちの世界の形を決めているのは文化なのだと、高らかに宣言するためにです。

第1日 6月3日(土)

11:00~11:45 
11:45~12:30
12:30~
13:00
13:15~17:00 公開シンポジウム テーマ 小さい窓から文化を語る

(会場:早稲田大学中央図書館併設・国際会議場 井深大記念ホール)

 
18:00~20:00
 

研究発表会要旨pdf
副島和泉氏 御発表要旨pdf

お詫び
第115回研究発表会要旨集の記載漏れについて

全国大学国語国文学会事務局・広報担当常任委員

会員に発送済みの第115回研究発表要旨集ならびにホームページにおきまして、本来であれば要旨集10頁(【研究発表会/A会場 午前の部】」の最後)に掲載されているべき副島和泉氏の御発表の要旨が、掲載されておりませんでした。ご発表者の副島氏をはじめ関係の方々に深くお詫び申し上げます。

なお、副島氏の要旨に関しましては、ホームページ上に取り急ぎ追加掲載致しますとともに、研究大会会場当日の受付におきましても配布致します。


第二日 6月4日(日)

9:00~
9:20~12:15
13:15~16:20
15:20~16:20

報告

第115回大会(於早稲田大学)も盛会のうちに無事終了しました。大会1日目のシンポジウムのテーマは、「小さい窓から文化を語る」。いずれの発表者も具体的な文学・語学研究の成果を示しつつ、その後の合同討議も合わせて、文学研究や語学研究の今日的な意義やあり方について、改めて考えさせる内容の刺激的なものでした。

通常の大会参加報告文を、当時の広報担当常任委員の不手際から、用意できませんでした。よって、異例ながら、広報担当の参加報告記に代えて、『文学・語学』221号(既刊)に載る石原千秋氏(当該シンポジウムのコーディネート役)のシンポジウム総括文を、ここに掲載致します。

報告が甚だ遅れ、且つ異例の形となりましたことを、会場校や御発表者をはじめとする関係者の皆様に、深くお詫び申し上げます。また、転載を許可下さいました、著者の石原千秋先生と『文学・語学』編集長藤平泉先生、及び写真を御提供下さった北川和秀先生(いずれも本学会常任委員)に御礼を申し上げます。

改めまして、申し訳ありませんでした。

(平成29年度広報担当委員)


実証という名の鎖国主義――夏季大会を終えて――

石原千秋

二〇一七年度夏季大会のコーディネイターとして、 学会誌にふさわしからぬエッセイ風の書き方をお許し願いたい。


勤務校の早稲田大学には、どの学部の学生でも履修できるオープン科目という制度がある。負担増を嫌う教員もいるが、私は一年生向けの「文学の近代」という講義科目をこれに指定している。授業中の反応や答案に学部の個性があって、他学部の学生を教えるのが単純に楽しいからである。内容の中心はあまり変えないが、毎年マイナーチェンジを繰り返して、その時代に合うように調律しているつもりだ。

もともと話が横道にそれがちな上に、伝えたいことがどんどん増えて、内容はてんこ盛りになりつつある。この授業で学生に見せるためだけに、束髪見本の一枚物を八万円で買い(『浮雲』のところ)、高橋由一「鮭」の実物大のセリグラフを八万円で買い(もちろん写生文のところ)、元手も掛かっている。

大学教員たるもの、大学の旧一般教養に相当する科目をきちんと教えられないのは失格であるというのが私の持論で、他学部の学生を受け入れるのは、私自身を鍛えるためである。講義であっても、学生の頭の上にクエスチョンマークがたくさん浮かんでいるのはもちろん見える。そういうときには、説明をやり直す。講義の後に質問に来てくれて、説明が不十分だったことに気づかされたときには、翌週の講義で説明し直す。頷く学生が多ければ合格。その説明は翌年に活かす。こういう具合に、マイナーチェンジが繰り返されるわけだ。

「文学の近代」という授業の 目的は、近代文学が近代資本主義といかに密接な関わりがあるか、いや、近代文学は近代資本主義の一齣であることを学生にわかってもらうところにある。つまり、近代資本主義がフロンティアを必要としたように、近代文学は何をフロンティアとしてきたかを説くことにある。だから初回は水野和夫『資本主義の終焉と歴史の危機』(集英社新書、二〇一四・三)から入る。水野和夫は、近代資本主義は「蒐集」という動機によって支えられていると説く。

そして、進化論が近代日本に「両性問題」を生みだした話に移り、当時の文献のプリント(私はプリント魔である)を示しながら、近代文学が「女の謎」をフロンティアとして書き続け、水野和夫風に言えば、それに振り回される知識人男性が個人主義と手を組んで、ついには「心」というフロンティアを「発見」して、「心の蒐集」に至った歴史的必然性を説く。つまり、明治期の「心」にはジェンダー・バイアスがかかっていた可能性がある。これに道徳臭を加えれば「他人の心がわかるようになりなさい」となる。それが国語教育の中の文学である。

これはあくまでも近代の話である。柄谷行人が言った〈内面を書くことをテーマとするような近代文学は終わった〉という趣旨のことを(『近代文学の終わり』インスクリプト、二〇〇五・一一)、歴史的に説明したものだ。そこで最後の講義では、現代では「心の蒐集」というモードは時代遅れになりつつあることを示唆しておく。

かなり怪しげな手つきであることはよく承知しているが、これが 私が近代文学を語るための切り口なのである。


「文学の近代」を語る上で、坪内逍遙『小説神髄』を外すことはできない。今年もそうした。例年のように、「小説総論」の次の一節を読み上げた。


美術は人の心目を娯楽し気格を高尚にするを以て目的となせばなり。(岩波文庫)


「小説総論」は、「小説の美術たる由」を明らかにするために設けられた章である。まだ日本に「小説」がなかったからだ。逍遙はこの文章の後で、「目的」という言葉を何度も何度も使っている。

これまではこうしたことを確認するだけだったが、今年この一節を読み上げたときには、「目的」という言葉で目がとまってしまった。「そうか、何かをはじめるときにはその「目的」を語らなければならないのだった」と、当たり前のことに改めて気づいたからだ。逍遙の苦労が身にしみた。それは「何かが終わりそうになったときにも、その「目的」を語らなければならないのだ」と思ったからである。今年はこう付け加えた。

いま、文学や文学研究が終わろうとしている。そこで、おそらくは気が進まないながらも、多くの研究者が「目的」を語ろうとしている。しかし、それはいつでもしてこなければならなかったことではなかったか。私たちは、高度経済成長期に起きた文学部の膨張に甘えて、文学や文学研究がこれほど多くの人に受け入れられた時代の方が例外状態であることに気づかなかったのである。その知的怠惰を恥じなければならない――。


全国大学国語国文学会第115回大会

『文学・語学』第二二〇号の「平成二七年 国語国文学界の動向」のすべてに目を通した。研究書や研究論文の蒐集からはじめなければならないなど苦労が多い割にさしたる「業績」にもならず、労多く報われることの少ない欄だが、専門外の研究動向を知ることができ、若手を評価する意味においてとても大切な欄である。あえて言う。多くの執筆者が研究を世に開かなければならないと、危機感をもって書いている。しかし、当の執筆者がそれをしてきただろうか。むしろ、いまやクリシェと化したこうした言説自体が、研究者の「世間知らず」を露呈しているのではないだろうか。

たとえば、構造的な不況状態にある出版業界に、研究者が文学研究を世に開く余地などもうほとんどありはしないからである。もはや私たち文学研究者は、出版業界では歓迎されざる存在となっているのだ。研究書の多くは何らかの出版助成を得るか、少なくない額の自腹を切るかしなければ出版できなくなっていることは身にしみて知っているだろう。それでも版元が見つからなければ自費出版すればいい。自費出版それじたいの価値が低いわけではない。ただ、広く読まれることは難しい。

文学とりわけ小説が売れなければ文学研究はたち行かない。では、以下のような問題を研究者は知っているだろうか。小説になぜソフトカバーが増えたのか、新人作家の初版の部数はどこまで減ったのか、最盛期と比べて文庫や新書の初版の部数がどれだけ減ったのか、本の値段が上がっているが、初版の部数から定価をどうやって設定するのか、夏の文庫フェアーがなぜ三年前からさっぱり売れなくなったのか、ある小説が爆発的に売れてもその作家の他の作品がそれに引きずられて売れる現象がなぜ起きなくなったのか。こうした出版事情を知ろうともせず、学界の中で研究を世に開かなければならないとかけ声だけかけて、いったい何の意味があるのだろうか。

しかも、どの学会誌も掲載される論文は専門外の研究者にはその意義さえわからない。いまや論文審査とは、「実証という名の鎖国主義」を作り出す装置だと言っていい。そうだとしても、「実証という名の鎖国主義」が成り立つ世界は学界にしかないことも事実である。膨大な「資料」が比較的容易に見られるようになったために、問いが見えにくい調査報告のような論文が増え、逆に、論の枠組みに都合のいい「資料」を流し込んだだけの論文も増えている。いずれも「実証」という名の装いにおいて似てはいる。そうならざるを得ない現実もある。

いま若手研究者の論文は、文章がとても難解になってきている。かつて、『國文學』(学燈社)や『解釈と鑑賞』(至文堂)といった商業誌が成り立っていた頃、若手研究者は、一般読者とは言わないまでも、学部学生へ向けてコラムなどを書いたものだ。それは研究者に読者意識を植え付け、文章を鍛える格好の文章道場だった。

全国大学国語国文学会第115回大会

学界全体もそうだが、これからの学会誌は「実証という名の鎖国主義」を終わらせて開国し、せめて専門外の研究者にもわかるように開きながら、同時に、若い研究者のために文章道場の場も作らなければならない。専門を異にする研究発表を聞いていると、日本文学研究や日本語研究であるはずなのに、まるで異文化交流の場のような様相を呈する。たとえば、近代文学の研究者から見れば日本語研究は調査報告にしか見えないし、日本語学者から見れば近代文学研究はアジテーションにしか見えないだろう。

流行を追い求め、作り出さなければ成り立ち得ないのがファッション業界である。ファッションの世界には「変わらないためにはすべてを変えなければならない」という格言(?)があると言う。まさか学問に流行がないと考えるナイーブな研究者はいないだろう。流行によって学説が更新されることも少なくないのだから。その流行というか、モードの違いによっても言葉が通じなくなることがある。

すべての論文に、その意義を説明することを意義づけてもいい。特に若い人は自分の専門の思考方法と言葉を身につけるのに精一杯で、研究が自立したものだと思い込みがちだ。その段階で「鎖国主義」に染まってしまうのである。他の研究領域の研究者と協同して研究を進めながら、同時にポストを争わなければならない若い人は、研究の意義を語る言葉を持たなければならない時代となったのだ。

モード横断的、ジャンル横断的なテーマを設定しても、大会のシンポジウムではできることに限りがある。『文学・語学』も小特集でジャンル横断的なテーマを設定する機会を設けているが、結局は専門に閉じられた論文が並んでいるだけではないだろうか。かつて商業誌が行ってきたように、専門を異にする研究者があるテーマをめぐってじっくり語り合う座談会の企画も是非行わなければならない。そのことで、研究者自身がわかりやすい言葉を鍛えることができるだろう。六つのジャンルからなるこの学会にできることはまだまだある。

まず、学界の中で研究を開くこと。これまでの学会や学会誌という概念を大幅に更新する時期に来ている。


逍遙は、こうも言っている。


畢竟、小説の旨とする所は専ら人情世態にあり。一大奇想の糸を繰りて巧みに人間の情を織做し、限りなく窮りなき隠妙不可思議なる原因よりして更にまた限りなき種々様々なる結果をしもいと美しく編いだしつつ、この人の世の因果の秘密を見るが如くに描き出し、見えがたきものを見えしむるをその本分とはなすものなりかし。


「文学近代」においては、これまでこの一節はこう説明してきた。

逍遙は、小説には因果関係が重要だとよくわかっていたようだ。小説という器には、因果関係によって成り立ついくつもの物語が仕舞い込まれている。物語には〈はじめ〉と〈終わり〉があるが、〈はじめ〉が原因であり〈終わり〉が結果である。何を〈はじめ〉とし、何を〈終わり〉とするのか。それを一つに決めるのが主人公の役割である。主人公とは、因果関係を統括する資格と条件を持った登場人物である。だから、逍遙は小説には主人公が必要だと強調したのだ。

私は教育学部の教員だから、今年はこれにこう付け加えた。

主人公は物語を一つに決める。しかし、読者はちがう。自分の「好み」によって、原因と結果を自由に設定できる。つまり、登場人物の誰を主人公にしてもいい。

そもそも、因果関係とはそもそも恣意的なものでしかない。哲学者の黒崎宏は、因果関係は任意に設定されると論じている。たとえば、地震で家が倒壊した。ところが、その原因は一つには決められないと言うのだ。家が倒壊した原因は「地震のため」と答えることもできるし、「家の造りが弱かったから」と答えることもできるし、あるいは「地球に重力があったから」と答えることさえできるはずなのだ。すなわち「「原因」として何を挙げるかは、客観的に決まっているわけではない、という事を物語っている。「原因」として何を挙げるかは、基本的には、それにかかわる人間の問題意識に依存するのである」(ゴチック体原文、『ウィトゲンシュタインから道元へ』哲学書房、二〇〇三・三)。

地震学者は「地震のため」と言うだろうし、建築学者は「建物が弱かったから」と言うだろうし、物理学者は「重力のせいだ」と言うかもしれない。因果関係はそれを記述する人間の立場に左右される。何を「原因」として挙げるかは読者の価値観の問題である。これが、「小説は自由に読んでいい」ということの理論的な説明だ。君たちの何人かは国語の教員として教壇に立つかもしれない。文学が自明な存在ではなくなりつつある においては、国語の教員は「なぜ小説は自由に読んでいいのか」という問いにきちんと答えられなければならない――。


それにしても、なぜ文学などを論じる制度ができたのだろうか。それにはどういう意味があるのだろうか。私は、文学を含む文化についてこう考えるようになった。何度か書いたことだが、ここでは少し前に「時評 文芸」(産経新聞)に書いたことに加筆して「引用」しておきたい。この文章は「高度に専門的な特殊研究は、少数の専門家にしか判らないという意味で独善的でもある」(竹本幹夫「世阿弥発見百年に思う――吉田東伍と坪内逍遙」『図書』二〇〇九・九)という刺激的な一節の記憶によって書かれた。


かつてコンニャクゼリーが開発されて、子供が喜んで食べた。ところが、これをのどに詰まらせて死亡する事故が起きた。そこで、危険な食べ物という認識が広まり、業界はのどに詰まりにくいように自主的に改良した。のどに食べ物を詰まらせて死亡する事故は毎年四千件以上起きていると言う。コンニャクゼリーの事故は平均すると毎年二件あるかないかだった。レアケースだったのだが、大きな問題となったのだ。

お餅の死亡事故は毎年百件以上もある。コンニャクゼリーの比ではない。しかし、毎年これだけの死亡事故が起きていながら、お餅を改良しようという議論は起きない。理由は、お餅は文化だがコンニャクゼリーは文化になっていなかったからだろう。水の事故死も毎年百件ほどだが、止めようという議論にはならない。自動車事故に至っては、毎年四千人以上の死者がでる。これは経済効果もさることながら、便利という名の文化になっているから、車を廃止しようという議論は大きくならないのだろう。文化ほど平気で人を殺すものはない。

かつて自民党は、臓器移植促進のためにいわゆる「脳死法案」を国会に提出した。しかし採決に当たっては、個人の死生観に関わる問題だとして、党議拘束をかけなかった。実際、自民党からも反対票がでた。政治が医学の問題を文化にゆだねた瞬間だった。

話をぐっと大きくしよう。いま、アメリカでは核兵器の小型化が進められている。もちろん、ミサイルに搭載するのには小さい方がいいからで、したがって北朝鮮も核兵器の小型化には熱心だが、アメリカの場合はほかにも理由がある。

いま仮に広島・長崎規模の核兵器を実際に使用したら、いかにアメリカといえども国際社会から強烈な非難をあびることは避けられない。そこで、小型化して使いやすくしようとしているわけだ。大統領も、核兵器の小型化には賛成だという。その使用は内戦を止めるためなどといった「人道的支援」に限るとして、これにもし「人道的核兵器」という名を与えたらどうだろうか。きっと使うだろう。名を与えることはそれを認めることだからだ。そして、名を与えるのは文化の仕事なのである。

もちろん、文化は不変ではない。テクノロジーによって変質しながら生き延びることもある。写真はデジタル技術によってフィルムを使わなくなっても写真である。これからの映画はコンピューター・グラフィックなしには生き延びられない。そして、文学も電子書籍が一般化しない限り、生き延びられないだろう。人間の感性がテクノロジーによって変わることもある。「時間厳守」という文化と感性が、鉄道の発展によって形成されたことはよく知られている。

文化をあまりに固定的にしてしまうと、民族問題を激烈に引き起こす。人々の共感が得られる限り、時代につれて文化はゆるやかに変化してもいい。

私の言いたいことはこうだ。世界の形を決めているのは文化であると。テクノロジーは、人の望むことなら何でもかなえてくれる。あるロボット研究者が言っていた。「もうすぐ、人のできることならすべてロボットができる時代が来る。では、人が生まれて、やりたいことをすべてロボットに任せて、ベビーベッドに寝たまま寿命を全うするのが人間らしい生き方と言えるのか」と。ここには「人間とは何か」という問いがある。彼にして悩みは深いようだった。

東京大学受験を目指していた人工知能・東ロボ君が、撤退した。情報処理はできても、文脈が理解できなかった~だと言う。ここにも「人間とは何か」という問いがある。いずれips細胞で人の脳を作る時代が来るだろう。人類に「人間とは何か」という問いが厳しく突きつけられる日が、もうそこまで来ている。

テクノロジーは自動作用があるかのように進歩する。それを止めることができるのは文化しかない。どこまで進歩させるかを決めるのも文化しかない。大学では、文系学部の縮小は止まりそうもない。それは、私たちが世界の形を決めることができなくなることを意味する。私はただこのゆえに、文系学部の縮小に反対する。


あえて言うが、文化を楽しむことは文化をそのまま受け入れることだが、論じることは文化を解剖し、あるときにはそれに異議申し立てをすることだ。それには私たちの無意識を白日の下に曝す覚悟がいる。これからの人文学は、私たちが「人間」を賭けた闘いの場となる。願わくは、『文学・語学』のそれぞれの論文がこうした覚悟を持ち、文化に対して意義を持つものでありますように。

(早稲田大学教授)



第114回大会(平成28年度冬季大会)

(共催 大阪樟蔭女子大学図書館・田辺聖子文学館)

案 内

日にち: 平成28(2016)年12月3日(土)、4日(日)
会場: 大阪樟蔭女子大学
〒577-8550 大阪府東大阪市菱屋西4-2-26
交通: 近鉄奈良線「河内小阪駅」下車 西へ徒歩4分
またはJRおおさか東線「河内永和駅」下車 東へ徒歩5分
※会場のホームページ・アドレス:www.osaka-shoin.ac.jp/univ/
問い合わせ先: 大阪樟蔭女子大学 学芸学部国文学科 奈良崎英穂研究室
E-mail: narasaki.hideho@osaka-shoin.ac.jp
テーマ: 女性作家と『源氏物語』
【趣旨】『源氏物語』は千年の時空を超えて日本のみならず世界中で読み継がれている。海外での翻訳は260種類を越え研究も盛んである。東洋の小さな島国で女性作者の手によって生まれた一作品が、これほど長く広く読み継がれているのは、原作の魅力もさることながら、数々の翻訳が大きく寄与しているのである。日本においても、古くは西鶴から、近くは角田光代に至るまで、各時代のさまざまな作家たちによって次々と翻訳・翻案が行われて来た。なかでも、日本初の全巻口語訳を成し遂げた与謝野晶子をはじめ女性作家による翻訳の存在は注目すべきであろう。各時代における女性作家による翻訳の方法を探る中に立ち現われてくる『源氏物語』の本質と魅力を考えてみたい。
再創造されることで存続して来た古典文学の有り様を、作家と『源氏物語』との関わりにおいて解明することは、古典文学を未来に伝える可能性を拓くことにも繋がるであろう。

第1日 12月3日(土)

11:00~11:30
11:30~12:00
12:30~
13:00
13:15~17:00 講演・公開シンポジウム テーマ 女性作家と『源氏物語』

(会場:清志館5階 G501教室)

※一般の方も御自由に御参加になれます。参加費は無料です。

13:15~14:15
14:30~17:00
 
17:30~19:30
 

研究発表会要旨pdf


第2日 12月4日(日)

9:00~
9:20~12:15
13:15~16:30
13:15~13:55
14:10~16:10
16:10~16:30

貴重書展示

場所:大阪樟蔭女子大学・田辺聖子文学館
期間:12月2日(金)から12月5日(月) 10:00~16:00

報告

全国大学国語国文学会第114回大会

第114回冬季大会は、「女性作家と『源氏物語』」のテーマのもと、大阪樟蔭女子大学において開催されました。卒業生である作家田辺聖子にちなむ「田辺聖子文学館」ならびに大学図書館との共催で、貴重書の展示も行われました。堺市主催の企画展「与謝野晶子と三つの舞台―堺・京都・東京―」の開催期も重なり、学会関係を越えて多くの方々が参加され、活気溢れる大会でした。

全国大学国語国文学会第114回大会

中西会長は開会の辞として、60周年を経た本学会の歴史とその間の激動の時代を振り返り、「人間の心を語るもの」として『源氏物語』の「人間探究」に目を向ける大切さについて述べられました。


全国大学国語国文学会第114回大会

*シンポジウム基調講演で伊井春樹氏は、晶子が小林天眠の依頼によって『源氏物語』の注釈に取り掛かって以来、関東大震災をはじめ、数多の私生活の苦悩をも味わいながら『新新訳源氏物語』を完成させていく過程を晶子の書簡、歌、訳本文の異同等さまざまな資料を綿密に関連付けて明らかにされた。

・田坂憲二氏は「出版文化誌の観点から」という副題で、「与謝野源氏」と「谷崎源氏」の出版元と出版形態の変遷について具体的な資料を豊富に示され年代による両作品の受け入れられ方という面から新しい光を当てて論じられた。

・呉羽長氏は田辺聖子自身が語る自己の年齢による『源氏物語』観の変化に、具体的にその訳の個別の表現を対応させて分析し、その「読みの深化」について論じられた。

全国大学国語国文学会第114回大会

・北村結花氏は、現代の若い読者の源氏観について、円地文子、田辺聖子、瀬戸内寂聴から、さらに漫画・ライトノベルに反映した『源氏物語』の受け入れに踏み込み、「翻案作品の変遷」として、いわば現在からさかのぼる受容史を論じられた。

・各発表に対して、各訳本との個人的出会いの回想を交えた質問や、『源氏物語』に登場する女性像のどのような面に若い読者が共感を持つか、などの質疑応答も行われた。一般参加者、研究者がともに考えていく雰囲気が感じられ、『源氏物語』がいかに後世の多くの層の読者に語りかけ続けているかという、司会・コーディネーターの中周子氏の言葉が実感された。

・続く研究発表も熱のこもったものとなり、大学院生のパネル発表も力作であった。



60周年記念大会(第113回大会・平成28年度夏季大会)

案 内

日にち: 平成28(2016)年6月4日(土)、5日(日)
会場: 青山学院大学青山キャンパス
〒150-8366 東京都渋谷区渋谷4-4-25
交通: 東京メトロ銀座線・半蔵門線表参道駅またはJR線渋谷駅下車
※会場のホームページアドレス:
http://www.aoyama.ac.jp/outline/campus/access.html
問い合わせ先: 〒150-8366 東京都渋谷区渋谷4-4-25
青山学院大学文学部 小川靖彦研究室
yasuhiko.ogawa122@gmail.com
テーマ: 日本とインド―文明における普遍と固有―
【趣旨】日本文化に多大な影響を与えたインド文明。しかし、インドは近代以前の日本人にとっては「天竺」と呼ばれる、見たこともない幻の国であった。それでありながら、インドは日本人の精神世界に大きな足跡を残したのである。現在、日本人はインドを旅して直接にその世界に触れ、その先進性と古代的混沌に驚きを覚えている。多様な社会と文化を抱え込んだインドとの交流は、今後の日本にとってますます重要となるに相違ない。そして、マハートマー・ガーンディーの平等主義、Pacifism(平和主義)、ラビーンドラナート・タゴールの東西文明融合の思想などを生み出したインドは、未来の世界文明を考える大きな鍵となるであろう。なお、本年は、タゴールが初来日した1916年から百年になる。

第1日 6月4日(土)

11:00~11:45
12:30~
13:00
13:15~17:30 公開シンポジウム テーマ 日本とインド―文明における普遍と固有―

後援: 公益財団法人日印協会

(会場 本多記念国際会議場(17号館6階))

※一般の方も御自由に御参加になれます。参加費は無料です。

13:15~14:15
14:35~17:30
 
18:00~20:00
 

研究発表会要旨pdf


第2日 6月5日(日)

9:00~
9:20~12:10
9:20~10:00
10:00~10:40
 
10:50~11:30
11:30~12:10
9:20~10:00
10:00~10:40
 
10:50~11:30
11:30~12:10
13:10~15:40
13:10~13:50
13:50~14:30
 
14:35~15:40
13:10~13:50
13:50~14:30
15:50~16:50

報告

第113回大会(平成28年夏季大会)は、本学会の創立60周年の記念大会です。青山学院大学において、「日本とインド――文明における普遍と固有――」という壮大なテーマを掲げ、公益財団法人日印協会の後援を得て盛大に開催されました。

日本文学・日本語学の学会が〈日本とインド〉というテーマで大会を催すのは、おそらく初めての試みなのではないでしょうか。当日は、インドの独立運動家スバス・チャンドラ・ボースに関する研究の第一人者でいらっしゃるスガタ・ボースハーバード大学教授の基調講演をはじめ、学際的な発表・討論が行われ、外国人研究者の参加も多く、大変有意義で印象深い大会でした。

大会第一日目のシンポジウムに関する報告文は以下の通りです。60周年記念の特別な大会であること及び諸般の事情のため、会場校の大会責任者でありシンポジウムの司会を務められた小川靖彦青山学院大学教授(本学会常任委員)の報告文(「日本とインド――日本文学研究の新たな視点――」『文学・語学』218号〈創立60周年記念号〉平成29年3月)の一部を転載したものであることを、お断りします。小川氏に感謝申すと共に、ホームページでの大会報告が大きく遅れてしまったことを、関係各位に深くお詫び申し上げます。

(広報・国際担当 常任委員)


平成28年(2016)6月4日に、青山学院大学青山キャンパス本多記念国際会議場にて開催された公開シンポジウムは、極めて問題提起的なものとなった。

全国大学国語国文学会第113回大会

インド独立運動家スバス・チャンドラ・ボースが大叔父であり、植民地時代からポストコロニアルにかけてのインドの政治経済の動きを交通の視点からダイナミックの論じてきた歴史学者スガタ・ボース氏の基調講演は、岡倉覚三(天心)のアジア・ユニバーサリズム(「一つのアジア」の思想)に示唆を得たタゴールのユニバーサリズムが、愛国主義と常に共存していたことを指摘した。ボース氏は、これを「〝色彩豊かな〟コスモポリタニズム colorful cosmopolitanism」という独特な用語で捉えた。キリスト教、あるいは民族自決主義、あるいはマルクス主義などの唯一の原理に基づく、どこまでも均質で“無色透明”のヨーロッパのユニバーサリズムに対して、タゴールのユニバーサリズムが、それぞれの民族の独自性を尊重しながら、普遍的なものを共有するものであることを、この用語によって鮮明にしようとしたのである。

そして、ボース氏は、スバス・チャンドラ・ボースの「地域的連邦regional federation」という理想を、タゴールの思想を受け継ぐものと位置付けた。日本の帝国主義的領土拡大を激しく批判したタゴールと、インド独立のためにインド国民軍を率いて、日本軍とともに戦ったボースは、対照的に捉えられがちである。しかし、我妻和男氏によれば、ベンガル人の二人は強い信頼関係で結ばれていた(『タゴール―詩・思想・生涯』麗澤大学出版会、2006)。ボース氏の論は、スバス・チャンドラ・ボースが思想的にもタゴールの継承者であったことを明らかにしたのである。

「〝色彩豊かな〟コスモポリタニズム」は、大多数の「大和民族」と規模の小さい少数民族からなり、植民地からの独立も体験しなかった日本人にはすぐには理解しにくい。しかし、多様な社会集団がゆるやかにまとまっているインド社会に根ざすこの思想は、インド近代史―日本との関係も含めた―、さらにはこれからの日本とインドの関係を考えるための重要な手がかりとなる。

全国大学国語国文学会第113回大会

パネルディスカッションでは、最初に、玄奘三蔵が結ぶインド・中国・日本の文化圏の解明を精力的に進めている藏中しのぶ氏が、東大寺大仏開眼供養の導師を務めたインド僧菩提僊那が広大な耕地を所有していたことを紹介し、『萬葉集』の「波羅門の作れる小田を…」の歌(巻16・3856)が菩提僊那を念頭に置いたものであることを指摘した。さらに菩提僊那の密教信仰に注目して、玄奘開基の西明寺においてインド僧によって翻訳された密教経典(呪力を持つと考えられた「陀羅尼」を含んだ)が極めて短期間に日本に伝来していることを明らかにした。

続いて、インドにおける宗教と政治との関係の研究から、宗教の《世俗》性を解明している宗教学者・近藤光博氏が、南インド地域研究者の目から見ると、遠藤周作『深い河』は、日本の言語と文化が生んだ《神秘のインド像》の再生産に過ぎず、「インドと日本のすれ違い」を示すものである、という衝撃的な見解を示した。熱狂的に日本に迎えられたタゴールが、日本の植民地支配を批判したため、「政財界」の熱が急速に冷めたことも、「インドと日本のすれ違い」と捉えた。但し、タゴールと、日本女子大学校創設者・成瀬仁蔵は、科学と宗教の融合、啓蒙と霊性の融合について深く共鳴し合っていたことを指摘した(なお、当日の発表資料が近藤氏のブログBuddhi Prakash(http://lizliz.tea-nifty.com/)に公開されている)。

最後に、「多様性社会」という視点から、インドの政治経済・社会・宗教を追究している文化人類学者・田辺明生氏が、122の主要言語が影響を与え合いながら、長い時間をかけて「インド言語圏」が作られて来たことを紹介した。多様性も固有性も肯定しつつ、その中で交流が行われるインド文化の特徴は、ユーラシア大陸の大乾燥地帯が湿潤地域と複雑に混淆していることに由来する、という斬新な生態文明論的視点を提示した。

また、田辺氏は、コトバを根源的存在そのものを指すものと捉えるインドの言語論が、悉曇学を始め、日本の文学・思想に多大な影響を与えたことを指摘し、インドの言語文化に注目するならば、「漢字文化」だけでは捉えきれない、アジアの多元的文化が見えてくると説いた。そして、普遍性を見据えた知的文化的交流が今後ますますアジアでは重要になると主張した。

これらの報告に対し、基調講演も踏まえつつコメントした竹中千春氏は、南アジアにおける政治・ジェンダー・移民などについて研究を進めている国際政治学者である。竹中氏は、2000年代以来、政治・経済・文化において、日印関係が強化されてきているが、その先に、どのような日印関係を築くかが今日の課題であるとした。そして、ボース氏の講演が示した、タゴールからスバス・チャンドラ・ボースへと続く、草の根のナショナリズムも含み込んだ、調和・普遍・アジアの連帯を志向するグローバルな思想を、その手がかりと捉えた。また、パネリストの報告のように、日印交流の歴史を掘り起こして、21世紀の日印関係の資となるものを再発見することと、空海はインドから巨大なヴィジョンを全力で導入したが、今度は日本からヴィジョンを発信してゆくことが必要であると提案した。

〈多様性を含んだ普遍性の追求〉というテーマが、この公開シンポジウム全体を通じて力強く浮かび上がった。

(小川靖彦記)



第112回大会(平成27年度冬季大会)

案 内

日にち: 平成27(2015)年12月5日(土)、6日(日)
会 場: 國學院大学栃木学園教育センター
〒328-0043 栃木県栃木市境町22番地30号
交通: JR線・東武線「栃木駅」より徒歩2分
※会場のホームページアドレス:
http://www.kokugakuintochigi.ac.jp/kcenter/
問い合わせ先: 〒328-8588 栃木市平井町608
國學院大学栃木短期大学 国文学第一研究室 塚越義幸
tsukagoshi@kokugakuintochigi.ac.jp
テーマ: 道の文学とトポスの成立
【趣旨】古代における五畿七道、近世の五街道、それに通ずる数多くの脇道、それらの道はある時は政治の道、ある時は軍事の道、またある時は信仰の道、そしてまたある時は経済の道として、それぞれ交通の場の役割を果たしてきた。さらに日記文学や紀行文などの題材としての文学の「道」も重要な位置を占めており、そこには独自の場である歌枕や俳枕などの名所「文学のトポス」が成立してきた。
本大会では、栃木県(下野)を中心に東国における「道」(東山道・鎌倉道・奥州道中・日光道中など)を取り上げ、それらを盛り込んで創作された物語文学・唱導文芸・紀行文などが、その中でどのように文学の場としてのトポスを確立させていったかを明らかにしてみたい。
今年は徳川家康公没後四百年の年を迎え、日光道中・例幣使道という道の終着点としての「文学のトポス」である日光への関心も再燃している。

第1日 12月5日(土)

11:00~11:45
11:45~12:30
12:30~
13:00
13:15~17:00 公開シンポジウム テーマ 道の文学とトポスの成立

(会場 レクチャーホール)

13:15~14:15
14:30~17:00
 
17:30~19:30
 

第2日 12月6日(日)

9:30~
9:50~12:00
9:50~10:30
10:30~11:10
11:20~12:00
9:50~10:30
10:30~11:10
11:20~12:00
13:00~15:50
13:00~13:40
13:40~14:20
14:30~15:10
15:10~15:50
15:50~16:10

報告

第112回大会も盛会のうちに無事終了しました。大会テーマは「道の文学とトポスの成立」。趣意文にあるように、下野(現栃木県)が東国における「道」の重要な通過点・分岐点であったこと、徳川家康公没後四百年の年を迎え関心の高まる日光を擁することを意識した、まさに地元に密着したテーマと言えます。以下、一日目のシンポジウムの内容につき記します。


全国大学国語国文学会第112回大会

基調講演の徳川恒孝氏は徳川宗家18代当主にして徳川記念財団理事長で「日光東照宮と将軍社参」と題する御講演。内容は、徳川幕府・日光東照宮・歴代将軍の日光社参につき触れられたのは勿論だが、それに留まらなかった。戦国の世が終わり、江戸徳川の世になって、世界で稀な永い平和が続いて、日本が文化的・経済的・倫理的に非常に高い水準に至っていたことを、寺子屋の数や識字率、出版点数等の数字を上げつつ説得力を持って語られた。また、WWF世界自然保護基金ジャパン会長のお立場で世界各地を飛び回っておられる御経験を基に、「世界を巡ると、日本の良さ(文化・風土・平和)が良く分かる」旨力説され、それを今後とも大事にして行くべきであり、世界に向け我々が今後もっと貢献できることがある旨述べられた。

全国大学国語国文学会第112回大会

続いて、各パネラーの発表へ。最初の大島由起夫氏は、「流浪・巡礼の道――中世東国の物語世界より――」と題する御発表。中世の軍記・物語等の文学が如何に深く在地伝承や唱導者の活動といった当時の宗教状況と深く繋がっているかを、種々の例を挙げ示された。『神道集』などを例にしつつ、中世文学に観る、人間にとっての「救済」や「神」へと話題が展開。この方面に不勉強な稿者にはやや難解に感ずる面があったものの、本大会のテーマである「トポス」(在地性・土地)が、文学や人間の普遍に繋がる深さを持つことは理解でき、もっと多くのお話を伺いたい思いに駆られた。

次の佐藤勝明氏は「『おくのほそ道』の白河前後」と題し、『おくのほそ道』の構造的な読み直しを問う、意欲的な御発表。稿者に趣旨を要約する能力があるかどうかおぼつかないが試みると、氏は作中の「白河の関」に注目。関所が古来単に軍事上の要所であるのみならず「境の神」としての性格を持っていたこと、及び芭蕉が白河の関と「茨」を繋げていることにつき、古典の伝統の中での意味(重要性)を検証。白河の関を超えること、そして関を超えた後に待ち受けている人物(等躬・清風・一笑ら)のいることが、『おくのほそ道』が次なる新たな世界へ入って行くことの象徴となっていることを述べられた(のだと思う)。諸本の価値や細部の読みが目立ち、最近は『おくのほそ道』の構成論は下火になっていたように見えるが、本発表は本格的な作品論が未だ解決されていないことを改めて実感させてくれた(と思う)。

最後の田坂憲二氏は、御専門の『源氏物語』でなく、「北条秀司『花魁草』と栃木」と題する、近代演劇に関する御発表。『花魁草』は、昭和57年2月歌舞伎座初演。主役のお蝶を尾上梅幸、相方の幸太郎を尾上菊五郎と音羽屋父子が演じた悲恋物。年増の女郎お蝶が年下の大部屋役者幸太郎と中川の土手で出会い深い仲となるが、幸太郎がたまたま役者として中央で活躍する機会を得ると、お蝶は幸太郎の出世を考え秘かに身を引く。氏は、本作が本筋としての悲恋物語の中に、要素として実に細かく日光付近の在地性(川・名産・累伝承等)を取り込み、作品にリアリティを持たせると共に御当地性を帯びさせている(=舞台となる土地の人々へのサービス精神が窺える)点を、具体的な文献・資料を挙げつつ指摘された。稿者の正直な感想を吐露すれば、中古文学専家である氏が、ほとんど先行研究のない近代の戯曲につき、ここまで実証的な発表をなさることに対し、近代の日本・外国の文学や映画にも通暁された氏ならではの御発表だと感銘を受けた。

全国大学国語国文学会第112回大会

その後、発表者全員で合同討議とフロアを捲き込んでの質疑応答に移る。通常、大きなテーマでのシンポジウムは、各発表がなかなか有機的に連関しきれない傾向が強いが、司会役の安保博史氏の巧みな差配もあり、有益な議論が展開されたように思う。「トポス」が単なる在地性・土地ではなく、特定の連想ないし情念を喚起させる機能を持つ点において、歌枕や『類船集』等に示される和歌・俳諧の本意本情といった意味合いを持つこと。テーマの一つである「道」が、陸上の道であるのみならず、水運で人と物を運ぶ「川」(水)も「道」としての意義を持つこと。文学作品中に採り込まれることのあまり多くはない「日光」が、近世の徳川の世になる前から、古代以来の聖性や仏教性を帯びた地であり豊かな在地伝承を有すること。こうした多くの事柄を稿者は再認識させてもらうことができた。 総じて、シンポジウムは各発表が諸方向に「拡散」し「言いっ放し」となりがちだが、本シンポジウムがそうならなかったのは、広く深いテーマでありながら、各パネラーが諸本・テキストを重視し、実証的な手堅い方法に拠る研究上の立場を堅持しつつ、所与のテーマに真摯に向かい格闘されたこと、そして 塚越義幸氏ら会場校の人達やコーディネート役の安保氏が、パネラーの人選や当日の討議の進行等に多大な労力を持って準備をなさった故と拝察する。

なお、2日目の発表の中から、研究発表奨励賞には、早稲田大学大学院生の富澤祥子氏の「『夜の寝覚』の「ひろさはの准后」について――女君の「嵯峨野の契り」――」が選ばれた。


内容は以上です。最後に付言すると、大会一日目にはJR両毛線が車両故障で不通となるアクシデントがあったものの、会場校である國學院栃木短大中村幸弘学長の歓迎の御挨拶をはじめ、スタッフの先生方・学生さん達の温かな対応や、会場校御所蔵の折口信夫関係資料の特別展示もあり、本当にきめ細やかな気遣いに溢れた、気持の良い大会でした。加えて、会場の栃木市は古い宿場街の風情の残る地であり、栃木駅から歩いて回れる範囲に江戸時代や明治初期の建造の幾つもの藏や山本有三の記念館などがあり、これらを時間外に観られたことも、稿者には今大会参加の貴重な「お土産」となりました。

〈付記〉稿者の怠慢と不注意のため、大会報告が遅れた上に、当日のシンポの様子を撮影した写りの良い写真を掲載できませんでした。深くお詫び申します。

(文責:本学会広報委員)



第111回大会(平成27年度夏季大会)

案 内

日にち: 平成27(2015)年6月6日(土)、7日(日)
会 場: 大東文化会館
〒175-0083 東京都板橋区徳丸2-4-21
http://www.daito.ac.jp/file/block_49513_01.pdf
交通: 東武東上線「東部練馬」駅から徒歩2分
問い合わせ先: 〒175-8571 東京都板橋区高島平1-9-1
大東文化大学外国語学部 藏中しのぶ研究室
zenkoku.daito2015[at]gmail.com
テーマ: シルクロードの東と西をむすぶ―文学・歴史・宗教の交流―
【趣旨】昭和のシルクロード・ブームから35年が過ぎ、2014年には「シルクロード:長安~天山回廊のルートネットワーク」が世界遺産に登録された。中国・カザフスタン・キルギルスタン三国共同の申請であっため、日本国内ではあまり報道されず、日本が申請した「富岡製糸場」の登録が大きな話題となった。生糸を生産する「富岡製糸場」によって、シルクロードは奈良を越え、富岡にまで延長されたともいわれている。
シルクロードをさらに西の「香料の道」へと延ばし、地中海世界につなげていこうとする構想もある。東に延長すれば、日本の沖の島、大宰府を経て奈良にいたる古代遺跡を連結する「仏教伝播の道」「海のシルクロード」への可能性も秘めている。
シルクロードの先には何があるのか? シルクロードから何が見えてくるのか?
来年度の本学会60周年大会シンポジウム「日本とインド―文明における普遍と固有」への展望を視野にいれ、このシンポジウムを企画した。
基調講演では、日本近現代文学の中国・西域への関心に焦点を当て、鈴木貞美氏には、明治期から宮沢賢治・保田与重郎・井上靖ら昭和戦前・戦後にいたる中国・西域ブームを解読していただく。
また、日本未紹介の10世紀のイスラム逸話集タヌーヒー撰『イスラム帝国夜話』の翻訳を手がける森本公誠師に、シルクロードの先、辺縁に位置するイスラムの文学から、改めて日本の宗教と文学を照らし出していただく。
歴史学では、近年、鈴木靖民氏が提唱する東部ユーラシア世界構造論をはじめとして、諸説が提起され、文学、宗教との関連の探究も待たれている。
ふたたび、シルクロードが脚光を浴びつつある今、これまでにない新たな視座から、シルクロードがむすぶ東西文化の交流を問い直す。

第1日 6月6日(土)

11:00~11:30
11:30~12:30
12:30~
13:00
13:10~17:00 公開シンポジウム テーマ シルクロードの東と西をむすぶ―文学・歴史・宗教の交流―
13:10~15:10
15:30~17:00
 
18:00~20:00
 

研究発表会要旨pdf


【委員等選挙】
  投票日時:6月6日(土)12:30~17:30
  投票会場:大東文化会館ホール前


第2日 6月7日(日)

9:00~
9:30~12:20
9:30~10:10
10:10~10:50
 
11:00~11:40
11:40~12:20
9:30~10:10
10:10~10:50
 
11:00~11:40
11:40~12:20
12:20~13:20
13:20~15:30
13:20~14:00
14:00~14:40
 
14:50~15:30
13:20~14:00
14:00~14:40
 
14:50~15:30
15:40~16:40

報告

第111回は盛会のうちに無事終了しました。全国大学国語国文学会は、平成28年度に創立60周年を迎えます。60周年大会では「日本とインド―文明における普遍と固有―」というテーマを立て、日印の文化交流・文学交流について考察しました。それに先立つ第111回大会でも、シルクロードを舞台とする文化交流・文学交流をダイナミックに捉える公開シンポジウムが企画されました。

全国大学国語国文学会第111回大会

鈴木貞美氏は基調講演「日本近現代におけるシルク・ロードへの関心―国際戦略と学術の動き―」で、シルクロードの探検と調査の歴史を概観した上で、宮沢賢治がシルクロードに強い関心を抱いていたことを紹介され、また事実とは異なる井上靖の西域小説を通して「歴史とは何か」という問題を提起されました。

全国大学国語国文学会第111回大会

一方、森本公誠氏は基調講演「タヌーヒー著『イスラム帝国夜話』-初期イスラム社会の世相を切りとる―」で、書記能力に優れ、君主サロンの一員であったタヌーヒーが、時代に対する危機意識の中で編んだ逸話集『イスラム帝国夜話』の全貌を紹介しつつ、この書が東西交流史(特にインド)の貴重な資料であることを示されました。

全国大学国語国文学会第111回大会

パネルディスカッションでは、フレデリック・ジラール氏は、シルクロードを経て中国に伝えられインドの禅が中国化し、玄奘によって独自な思想に練り上げられてゆくプロセスを明らかにされました。


全国大学国語国文学会第111回大会

鈴木靖民氏は、「東部ユーラシア」という視点を提示し、その世界を「中心―周辺―辺縁」の三層構造という新しいモデルで捉えようとされました。辰巳正明氏は、山上憶良の文学における、敦煌文学文献の強い影響を指摘し、敦煌―長安―奈良を結ぶブックロードの重要性を強調されました。討論では、司会の藏中しのぶ氏が、シルクロードの東西の文物や思想の、実証しにくい類似性・共通性が大きな研究課題となるという問題提起されました。シルクロードに関わる文明の、思いもかけない、さまざまな交流のルートが今後明らかになることでしょう。さらに、文物や思想を橋渡ししたシルクロード自体、あるいは中央アジアの文化に光を当ててゆくならば、一層豊かな交流の相が浮かび上がるように思われました。

なお、研究奨励賞には、生田慶穂氏(お茶の水女子大学大学院生)の「看聞日記紙背連歌懐紙の訂正について―本文異同と式目をめぐる問題―」が選ばれました。

(広報委員記)



第110回大会(平成26年度冬季大会)

案 内

日にち: 平成26(2014)年11月8日(土)、9日(日)、10日(月)
会 場: 弘前大学
〒036-8560 弘前市文京町1番地
テーマ: 「北」のものがたり―「北」の思考・心性の北方的なるもの―
【趣旨】「北」の持つ地理的特性、風土的特性あるいは文化的特性のなかで生まれ、語られたものの価値とは何であろうか。かつて蛮夷の国として恐怖、怪異の対象であり、一方では都人の憧れの歌枕の国でもあった「北」は、そののち、制圧・支配の対象となり、物的・人的資産の供給地となる一方、景観・風景や名勝を提供する国々ともなった。
こうした環境と歴史の「北」に生まれたものがたりにおいて、「北」はどのように捉えられ、描かれているのだろうか。そこに「北」の独自性は、はたして存在するのであろうか。
物語、小説、伝説、芸能、宗教、思想、政治経済史にみられる北の思考、北の心性におけるその北方的なるものとは何か、という問いを通して、「北」に対する意識、表象の中から「北」の存在意義を確かめたい。
なお、ここでの「北」の範囲は、北奥、北東北を中心としつつ、東北以北、北海道をも含む地域を視野に入れている。

第1日 11月8日(土)

11:00~11:30
11:30~12:30
12:30~
13:00~
13:10~17:00 公開シンポジウム テーマ 「北」のものがたり―「北」の思考・心性の北方的なるもの―
13:10~14:10
14:30~17:00
 
18:00~20:00
 

研究発表会要旨pdf


第2日 11月9日(土)

9:50~12:10
9:50~10:30
10:30~11:10
11:20~12:00
9:50~10:30
10:40~11:20
11:20~12:00
12:00~13:00
13:00~15:50
13:00~13:40
13:40~14:20
14:30~15:10
15:10~15:50
15:50~16:00

第3日 11月10日(月)

報告

全国大学国語国文学会第110回大会

第110回大会は弘前大学教育学部で開催されました。開会にあたって、佐藤敬弘前大学学長、三村申吾青森県知事より歓迎の辞を賜りました。

今回の公開シンポジウムのテーマは「『北』のものがたり―『北』の思考・心性の北方的なるもの―」でした。

全国大学国語国文学会では、平成19(2007)年度冬季大会で「『北』の再発見」という公開シンポジウムを盛岡大学で開催しています。今回の公開シンポジウムでは、その成果も踏まえつつ、さらに北海道も視野に入れて、「北」の歴史と文学、「中央」と「北」の関係を広く考えることをめざしました。

全国大学国語国文学会第110回大会

長谷川成一氏(日本史学)による基調講演「神に祀られた藩主―弘前藩四代藩主津軽信政の明と暗―」は、津軽氏が領内のアイヌコタンに強い関心を抱いていたことや、四代藩主信政がアイヌの首長シャクシャインによる松前藩への蜂起(「寛文蝦夷蜂起」)へ出兵したことで、弘前藩が“北の異民族”の抑えの藩として幕府に認められ、藩としての意識も高めたことを明らかにされました。弘前藩とアイヌとの深い関わりに光が当てられました。

パネルディスカッションでは、この北東北と北海道の関わりに加え、北東北・北海道と「中央」の関わりがさまざまな角度から論じられました。

全国大学国語国文学会第110回大会

石黒吉次郎氏(日本中世文学)は、室町時代頃から歌枕として、また謡曲や物語の中に北東北が登場し始めることを詳細な資料によって示されました。北東北への関心の高まりの背景に、群小の芸能集団の活動が北東北に及んだことも示唆されました。

神谷忠孝氏(日本近代文学)は、明治から昭和に及ぶ北海道移民の悲惨な開拓の歴史が、独自の反権力の文学を生み出したことを論じられました(この移民の中には、平成27年度冬季大会の開催地である栃木県の、足尾銅山の鉱毒で農地を失った666戸240名がいることも紹介されました)。

佐々木馨氏(日本仏教史学)は、古代から近代にいたるまで、東北・北海道では「開拓」と「開教」が一体となって展開してきた歴史を説かれました。そして、その背後にはアイヌ民族を改宗して仏教化するという“負の歴史”があったという問題提起をされました。

討議では、司会の佐倉由泰氏(日本中世文学)より最初に、“北方的なものはあるのかないのか”という問題が投げかけられました。議論のなかで、同質の文化圏であった北海道と北東北が、近代以降別々の道を歩み始める歴史が鮮明に浮かび上がってきました。また、佐倉氏は「北」を捉えるためには、北海道・北東北だけでなく、さらに樺太・中国大陸北部の歴史の動向への視点も必要であるとの、刺激的なまとめをされました。今後の「北」の研究のダイナミックな展開が予感されました。

なお、研究奨励賞には、荒川真一氏(日本大学大学院生)の「大英博物館所蔵『伊吹童子』考―弥三郎と酒呑童子の造形に着目して―」が選ばれました。

(広報委員記)



第109回大会(平成26年度夏季大会)

案 内

日にち: 平成26(2014)年5月24日(土)、25日(日)
会 場: フェリス女学院大学緑園キャンパス(24日)
    〒245-8650 横浜市泉区緑園4-5-3
    http://www.ferris.ac.jp/access.html
県立神奈川近代文学館(25日)
    〒231-0862 横浜市中区山手町110 港の見える丘公園内
    http://www.kanabun.or.jp/0g20.html
会場への交通: フェリス女学院大学緑園校舎(24日)
    相鉄線緑園都市駅より徒歩7分
県立神奈川近代文学館(25日)
    みなとみらい線元町・中華街駅より徒歩10分
問い合わせ先: 〒245-8650 横浜市泉区緑園4-5-3
  フェリス女学院大学竹内正彦研究室
Fax:045-330-6067
テーマ: 太宰治―作品の舞台と風土
【趣旨】日本近代文学を代表する作家の一人として、今日にいたるまで、若者にも年長者にも高い人気を誇る太宰治については、近年もさまざまな角度から研究が深められてきている。作家主体の形成とその文体への現れ方、その文学と社会との関わり、とりわけ左翼思想の影響の深さについての、新発見を含む探究などが進められ、太宰の作家像についての新たな知見が共有されてきた。
今回のシンポジウムせは、さらにもう一つの視角として、この作家が作品の舞台とした多様な土地とその風土を手掛かりとして、生涯にわたる〈個〉と〈周囲〉との関わりについて、共同の考察の場を持ちたいと考える。具体的には故郷・津軽、人生の転機となった山梨、文業の拠点としての東京などを取り上げつつ、さらに神奈川との関わりについても視野に加えて行きたい。
後 援: 公益財団法人 神奈川文学振興会
県立神奈川近代文学館

第1日 5月24日(土)

11:00~11:30
11:30~12:30
12:30~
13:00~
13:10~16:00 公開シンポジウム テーマ 太宰治―作品の舞台と風土―
13:10~14:10
14:30~17:00
 
17:30~19:30
 

研究発表会要旨pdf


第2日 5月25日(日)

9:00~
9:20~12:10
9:20~10:00
10:00~10:40
10:50~11:30
11:30~12:10
12:10~13:10
13:10~15:20
13:10~13:50
13:50~14:30
14:40~15:20
15:30~16:30

報告

第109回大会は第1日目がフェリス女学院大学緑園キャンパス、第2日目が県立神奈川近代文学館で開催されました。開会にあたって、秋岡陽フェリス女学院大学学長より歓迎の辞を賜りました。

今回の公開シンポジウムのテーマは「太宰治―作品の舞台と風土―」でした。司会の島村輝氏より最初に、作品の舞台となった多様な土地とその風土を手掛かりとして、共同の考察の場を持とうとする意図が説明されました。気鋭の若手研究者による先端の研究成果披露への期待も述べられました。

全国大学国語国文学会第109回大会

作家の太田治子氏による基調講演「太宰治―明るい方へ―」は、みんなの心に染みる文章で、多様な捉え方が可能な太宰治の文学の魅力に言及され、彼の劇的な生き方、他者との関わり方が、『津軽』『斜陽』等の作品にどのように反映されているかを具体的に説明されました。講演の副題は同氏が太宰生誕百年を記念して上梓された著書名からとられました。

パネルディスカッションでは、太宰の故郷・津軽に加え、人生の転機となった山梨、文筆の拠点となった東京を中心に、さまざまな角度から論じられました。

全国大学国語国文学会第109回大会

岡村知子氏は、郷土という場が人間にとってどのような可能性を持ち得るのかを考察していきました。表層の郷土(捨ててしまいたい郷土)と深層の郷土(捨てることのできない郷土)の二重構造を持っていることが指摘され、戦時中に書かれた『津軽』等の作品にどのように反映しているかが分析されました。

滝口明祥氏は、日中戦争期の国策に対応したツーリズムの増大を背景に、山梨を舞台とした太宰と井伏鱒二の作品を比較されました。甲府で新婚生活を過ごした太宰による『富嶽百景』が、ツーリズムの動向と深く関わっており、また総力戦体制への抵抗も示していることを明らかにしました。

斎藤理生氏は、太宰の東京を描いた作品と織田作之助の大阪を描いた作品と比較した上で、周囲から貼られた「大阪」というレッテルにこだわり、小説や随筆で利用したのが織田であるのに対し、太宰の「東京」は、故郷の「津軽」とも連動して、ついたり離れたり、関係を次々に変えて行くことを指摘しました。

討議を通じて、太宰の持っていた郷土観、戦争中もすぐにツーリズムの動向が衰えたわけでなく、暫くの間は観光客の増大があった事実等が指摘されました。今後の太宰研究の大きな進展が期待出来るシンポジウムとなりました。

なお、研究奨励賞には、佐々木彩香氏(フェリス女学院大学大学院生)の「大江健三郎『同時代ゲーム』論―女優の力―」が選ばれました。

(広報委員記)



第108回大会(平成25年度冬季大会)

案 内

日にち: 平成25(2013)年12月7日(土)、8日(日)
会 場: 宮崎観光ホテル
〒880-8512 宮崎市松山1-1-1 電話0985-27-1212
会場への交通: JR宮崎駅より車で約5分
問い合わせ先: 〒880-0929 宮崎市まなび野3-5-1
宮崎県立看護大学 大館真晴研究室 Fax 0985-59-7746
テーマ: 日本文学にみる「旅」
【趣旨】「旅」は日本文学のテーマの一つとして大きな位置を占めており、「旅」の表現には、宗教、文化、芸術などの様々な日本文化の特質が映しだされているといえます。特に歌には、先に述べたような日本文化の特質がよく表れているといえるでしょう。今回の基調講演ならびにシンポジウムでは、記紀万葉から現代に至るまでの様々な「旅」の歌をとりあげ議論を深めることで、日本人にとっての「旅」の魅力というものを、若山牧水を生んだ宮崎の地から発信していきたいと思います。
後 援: 宮崎県

第1日 12月7日(土)

11:30~12:30
12:30~
13:00~
13:10~16:00 公開シンポジウム テーマ 日本文学にみる「旅」
13:10~14:10
14:30~16:00
 
16:30~18:30
 

研究発表会要旨pdf


第2日 12月8日(日)

8:45~
9:10~12:00
9:10~9:50
9:50~10:30
10:40~11:20
11:20~12:00
12:00~13:00
13:00~15:50
13:00~13:40
13:40~14:20
14:30~15:10
15:10~15:50
15:50~16:00

報告

第108回大会は、宮崎観光ホテルで開催されました。

公開シンポジウムでは、「日本文学に見る旅」をテーマに掲げました。

全国大学国語国文学会第108回大会

基調講演の中西進氏の「円環の思想―旅について―」では、旅の語源は回るという意を持つ「たむ」の名詞化であることが指摘されました。まわる主体によって旅が三つに分類され、神が巡行する旅、中国の「巡狩」に倣った支配地を回る旅、前二者の模倣である聖地の巡礼に見える人間の旅について、折口信夫によって知られる「まれ人」の信仰、『万葉集』の巻頭歌、謡曲の「諸国一見の僧」等の具体例を挙げて説明されました。人間の旅の特色として、出発の原点を持つことが「草枕」という枕詞に込められた意味を例に説明され、また現れたり消えたりする神に倣って動くという特徴も、仏教思想、『易経』に触れながら指摘されました。旅を契機として生まれた日記文学では、書き付けることで回想を一日一日確定していることも説明されました。さらに円がもたらすイメージに言及され、今日でも近づきにくい聖なるものに少しでも近づこうとする行為を四国八十八箇所の巡礼等に見出されました。

全国大学国語国文学会第108回大会

辰巳正明氏は、万葉集の旅の歌を具体例として、当時の人々が発見した文学の3大テーマ「神」「愛」「死」を見出したことを指摘しました。後代の歌枕・名所図会に結び付く名所・旧跡の発見や、旅そのものが憂いを抱えるという旅愁の発見、自己省察の発見、旅の自由の発見についても言及しました。小島ゆかり氏は、現代短歌における5名の歌人達による旅の作品を具体的に挙げて、その表現の魅力を解説しました。現代の交通手段の発達により、家を出て着くまでを詠んだ万葉歌と異なり、着いてから詠み出すという傾向も指摘しました。伊藤一彦氏は、若山牧水の家系等の伝記的事実や明治期の時代背景を踏まえ、入念な準備をして出発していることが知られる旅の歌がどのような特徴を持つか解説しました。牧水の「健康な病気」とも言える旅への意識、歌に見える妻や4人の子供に対する思いも指摘しました。

一人10分ずつに凝縮された3名のパネリストの報告後に、コーディネーターの上野誠氏の進行により、中西氏も加わった質疑を通じて、万葉の旅と中世・近世の旅との相違、日常を離れたことによる意識の変化、文学者の名所に対する意識が明らかにされました。旅の歌の表現の特色、旅の作品を著した文学者をめぐる密度の高い議論に加え、時代状況と文学の関わり、古典和歌と現代短歌の比較、文学と信仰という様々なテーマにも及んだ公開シンポジウムの成果は、機関誌『文学・語学』第208号に掲載されます。

なお、研究発表奨励賞には、趙暁燕氏(山口大学大学院生)の「『源氏物語』における夕霧の人生儀礼―籠りの空間としての二条東院―」が選ばれました。

(広報委員会記)

第107回大会(平成25年度夏季大会)

案 内

日にち: 平成25(2013)年6月1日(土)、2日(日)
会 場: 成城大学
〒157-8511 東京都世田谷区成城6-1-20
http://www.seijo.ac.jp/access/index.html
交 通: 小田急線「成城学園前駅」徒歩3分
(快速急行は停車しませんので、ご注意ください)
連絡先: 電話 03-3482-1537(山田直巳研究室〈直通〉)
テーマ: 柳田國男と国語国文学―没後50年を超えて―
【趣旨】「柳田國男の登場によって、国語国文学はどう変わったか」を考えたい。これは、折口信夫の国文学研究も含め、新しい文学運動としての民俗学的研究法の動向を検証することに他ならない。われわれは、このことを通して、国文学研究の一層の深化・拡大をめざし、同時に〈方法論〉の問題―、つまり〈見方/捉え方〉を再考する機会になれば良いと、考えた次第である。

第1日 6月1日(土)

11:00~11:30
11:30~12:30
12:30~
13:00~

【選挙】
  投票日時:6月1日(土)12:30~17:30
  投票会場:304教室(3号館地下1階)


13:10~17:30 公開シンポジウム テーマ 「柳田國男と国語国文学」―没後五〇年を超えて―
13:10~14:10
14:30~17:30
 
18:00~20:00
 

研究発表会発表要旨pdf


第2日 6月2日(土)

9:00~
9:30~12:10
9:30~10:10
10:10~10:50
10:50~11:30
11:30~12:10
12:10~13:10
13:10~15:10
13:10~13:50
13:50~14:30
14:30~15:10
15:20~16:20

成城大学民俗学研究所 特別展―柳田國男の世界―

会場: 成城大学4号館3階・民俗学研究所・小展示室
期間: 6月1日(土)・2日(日) 10:00~16:00(両日とも)

報告

第107回大会は、成城大学で開催されました。

全国大学国語国文学会第107回大会

公開シンポジウムでは、「柳田國男と国語国文学─没後五〇年を超えて─」をテーマに掲げました。コーディネーターの山田直巳氏から、会場校の成城学園は柳田の子息が通っていた縁があり、同大学に柳田の蔵書が寄贈され、民俗学研究所の基盤となったことが説明されました。


全国大学国語国文学会第107回大会

基調講演の福田アジオ氏の「柳田國男の民俗学」では、民俗学としての立場から柳田國男の学問の特徴に言及されました。柳田の研究段階が山人から常民、総ての日本人へ広がって行く段階を踏むという氏独自の見解、柳田に影響を与えたヨーロッパの民俗学、日本の土俗学・人類学、国学者・近世文人についても具体的に述べられました。柳田の研究は、論文形式ではなく、論理・論理や概念・用語の規定が不明確で、また自らの研究の種明かしをすることもなく、他の学者の用語を採用しないというもので、それ故に今日の私たちに研究課題を提供してくれているという内容で締めくくられました。

松本博明氏は、折口古代学研究所に所蔵されていながら研究が進んでいない柳田と折口信夫の間に交わされた多くの書簡を読み解いた上で、両者の複雑な関係を分析されました。続いて伊藤好英氏は、柳田・折口の芸能史研究における互いの影響関係について、年表を提示された上で、両者の具体的な著作の引用を踏まえて解明されました。最後に持田叙子氏は、柳田と交流があった国木田独歩が多くの作品で用いた「戦慄」という語が『遠野物語』序文で用いられていることに着目され、民俗学と近代文学の関わりを俯瞰的に論じられました。

3名のパネリストの報告後に会場から積極的に出された質問への回答を通じて、柳田國男の学問の特徴、折口信夫との関わり、近代文学に果たした役割が明らかにされました。柳田國男が国文学研究に果たした役割の重要性、折口信夫との関わりをめぐる密度の高い議論に加え、日本の芸能の特色、民俗学と近代文学の関係という様々なテーマにも及んだ公開シンポジウムの成果は、機関誌『文学・語学』第207号に掲載されます。

なお、研究発表奨励賞には、大谷歩氏(國學院大學大学院生)の「「係念の恋」―安貴王作歌の位置付け―」が選ばれました。

(広報委員会記)


第106回大会(平成24年度冬季大会)

案 内

日にち: 平成24(2012)年11月24日(土)、25日(日)
会 場: 中京大学名古屋キャンパス
〒466-8666 名古屋市昭和区八事本町101-2
http://www.chukyo-u.ac.jp/information/access/h1.html
http://www.chukyo-u.ac.jp/information/facility/g1.html
交 通: 地下鉄鶴舞線・名城線「八事駅」5番出口すぐ
連絡先: 電話052-835-7314(原國人研究室)
テーマ: 継承と断絶―創造のための―
【趣旨】文化創造の礎たる古典の継承が困難な状況はたしかにいつの時代にもありました。それでも、古典は先人の憧憬や努力、日本人のエートスによって、保護され継承されて来ました。近代に入っても、尾張徳川家の取り組みや古典を現代に再生するためのメディアの努力などが数多くなされてきました。しかし、そうした営為を阻む障壁が立ちふさがったことも再三再四ありました。では、今、グローバル化の中の日本で古典の位置づけは確かなものと言えるのでしょうか。新しい創造のために、国語国文学に携わる私たちが今しなければならないことは何なのでしょうか。ここ中京の地において、全国に発信します。
後 援: 中日新聞社
協 力: 徳川美術館

第1日 11月24日(土)

11:00~11:30
11:30~12:30
13:00~
13:30
13:40~17:30公開シンポジウム テーマ 継承と断絶―創造のための―
13:40~17:30
 
18:00~20:00
 

公開シンポジウム・研究発表会要旨pdf


第2日 11月25日(日)

9:00~
9:30~12:10
9:30~10:10
10:10~10:50
10:50~11:30
11:30~12:10
12:10~13:10
13:10~15:50
13:10~13:50
13:50~14:30
14:30~15:10
15:10~15:50
15:50~16:00

中京大学図書館蔵貴重書の展覧

会場: 中京大学名古屋キャンパス センタービル3階 0304教室
期間: 平成24(2012)年
  11月24日(土)10時30分~16時30分
  11月25日(日)9時30分~16時00分

〈主な展示〉
1. 中京大学図書館蔵『源氏物語』(旧大島本)河内本
2. 『花鳥風月』(2巻)江戸初期
3. 『御伽草子』23種
4. 『天路歴程』2首
5. 深沢七郎書簡1通
その他、奈良絵本および『源氏物語』の注釈書数種

報告

第106回大会は無事終了しました。

第106回大会の公開シンポジウムでは、「継承と断絶―創造のための―」をテーマに、古典の継承の前に立ちはだかった障害を、いかに先人たちが乗り越えてきたかを見つめ、未来の創造のための手がかり得ることをめざしました。

全国大学国語国文学会第106回大会

今回の大会では、パネルディスカッションに十分な時間を当てることにしました。四辻秀紀氏(徳川美術館副館長・日本美術史)は、徳川美術館と蓬左文庫の収蔵の歴史を解説された上で、明治初年から昭和23年(1948)にかけての収蔵品の売却・譲渡・下賜のデータを通じて、今日に至るまで徳川美術館がどのように苦難を乗り越えてきたかを示されました。佐山辰夫氏(元小学館編集長)は、画期的な「小学館版日本古典文学全集(全51巻)」が刊行開始された昭和45年(1970)11月10日の直後の25日に、その推薦文を書いた三島由紀夫が陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地に乱入して割腹したというエピソードを紹介されました。浅岡邦雄氏(中京大学教授・日本近代出版史)は、明治から昭和初期にかけて、『好色一代男』が出版法(明治26年〈1893〉公布)によって受けた検閲処分を詳細に示される一方で、その間隙を縫って行われた非合法出版に光を当てられました。

公開シンポジウムを通じて、近現代において、古典の収蔵・出版にいかにさまざまな種類の障害が立ちはだかってきたかが明らかになりました。そしてそれを乗り越えるものが、古典の継承への強い意志であったことを、改めて痛感しました。

この公開シンポジウムの成果は、機関誌『文学・語学』第205号に掲載されます。

なお、研究奨励賞には、牧義之氏(日本学術振興会特別研究員)の「萩原朔太郎『月に吠える』の削除に関する事情について―内閲がもたらした影響―」が選ばれました。

第106回大会の開催にお力添え下さった中日新聞社様、徳川美術館様に厚く御礼申し上げます。

(広報委員会記)


第105回大会(平成24年度夏季大会)

案 内

日にち: 平成24(2012)年6月2日(土)、3日(日)
会 場: 國學院大學渋谷キャンパス(東京)
〒150-8440 東京都渋谷区東4-10-28
http://www.kokugakuin.ac.jp/guide/access_shibuya.html
http://www.kokugakuin.ac.jp/guide/campus_shibuya.html
交 通: JR線・東急線・京王井の頭線・地下鉄各線「渋谷駅」東口下車。
都営バス(学03系統 日赤医療センター行き)に乗り、「國學院大學前」バス停下車すぐ。
連絡先: 電話 03-5466-0211(辰巳正明研究室)
テーマ: グローバル化の中の日本文学
―「魂の記憶」と「異国とモダニズム」をめぐって―

【趣旨】第一部は、文学とは何か、文学はどのように語られたかを、「魂の記憶」と言うキーワードを通して講演を行う。魂の記憶とは、民族を超えて現れる人間の魂の起源であり、記憶は我々の魂を揺さぶり続けることで、歌い・語ることを必然とした魂の故郷である。第二部は、異国とモダニズムの問題を、古代・中古に起源を求めて文学のモダニズムを考える。日本の古典期のモダニズムは、「カラ」から獲得した。そこには異国への限りない憧れと羨望があった。その起源はどのようなものであったのか。

第1日 6月2日(土)

11:00~11:30
11:30~12:30
12:30~
13:00
13:10~17:30公開シンポジウム テーマ グローバル化の中の日本文学―「魂の記憶」と「異国とモダニズム」をめぐって―
13:10~14:10
14:30~17:30
 

公開シンポジウム・研究発表会要旨pdf

18:00~20:00
 

第2日 6月3日(日)

9:00~
9:30~11:40
総合司会

A会場(120周年2号館2302教室)

本学会常任委員・大分大学准教授
藤原耕作

B会場(120周年記念2号館2303教室)

本学会常任委員・中京大学教授
原國人
9:30~10:10 大塚楠緒子の『露』が語った〈幸せ〉
―学問する明治女学生のあり方

名古屋大学大学院生 
韓韡

コモンセンス・ペアレンティングと表現指導
―言語学的視点からの再検討―

秀明大学助教 
市原之奈

〈司 会〉早稲田大学教授
石原千秋
〈司 会〉和洋女子大学教授
岩下裕一
10:15~10:55 「雑兵」の一箭
―山田美妙『夏木立』と批評家内田不知庵の登場

早稲田大学大学院生 
大貫俊彦

西行と鏡の歌
―「人の心のうち」を捉えること―

國學院大學兼任講師 
荒木優也

〈司 会〉和洋女子大学助教
佐藤淳一
〈司 会〉前東京大学教授
三角洋一
11:00~11:40 三ヶ島葭子の女教師時代

昭和女子大学特別研究員 
高橋美織

『古今和歌六帖』萬葉歌の再評価

東洋大学大学院生 
池原陽斉

〈司 会〉鶴見大学短期大学部教授
山田吉朗
〈司 会〉國學院大學兼任講師
城崎陽子
11:40~12:40
13:00~14:20
総合司会

A会場(120周年記念2号館2302教室)

本学会常任委員・大分大学准教授
藤原耕作

B会場(120周年記念2号館2303教室)

本学会常任委員・中京大学教授
原國人
12:40~13:20 謝六逸の記した平安朝と物語文学

明治大学兼任講師 
西野入篤男

『古事記』の「三色の奇虫」の解釈

國學院大學兼任講師 
山崎かおり

〈司 会〉跡見女子大学名誉教授・放送大学客員教授
神野藤昭夫
〈司 会〉長崎大学教授
勝俣隆
13:25~14:05 母に添臥す落葉の宮

國學院大學兼任講師 
津島昭宏

『金剛般若経集験記』から見た『日本霊異記』

大東文化大学准教授 
山口敦史

〈司 会〉大阪樟蔭女子大学教授
中周子
〈司 会〉同志社女子大学特任教授
寺川眞知夫
14:10~14:50 『伊勢物語』「うつのやまべ」のストラテジー

二松學舍大学准教授 
原由来恵

古代における浦島伝説の位相
―万葉集歌の水江浦島子を中心に―

苫小牧駒澤大学教授 
林晃平

〈司 会〉広島大学教授
妹尾好信
〈司 会〉宮城学院女子大学教授
犬飼公之
14:55~15:35   小正月の炉端の行事とイザナキ・イザナミの神話

青山学院大学名誉教授 
安田尚道

  〈司 会〉成城大学教授
山田直巳
15:50~
 

資料展示【古典籍でたどる日本文学史―「魂の記憶」と異国と「モダニズム」】

会場: 國學院大學AMC棟 地下一階 伝統文化リサーチセンター資料館
展示期間: 平成24(2012)年6月1日(金)~4日(月)
時間: 10:00~17:00

日本文学における内外の対立と融合の歴史を、國學院大學図書館所蔵典籍約30点を通して見ていきます。

〈展示目録抄〉百万塔陀羅尼・嘉禎本日本書紀・元暦校本断簡万葉集・伝為家筆源氏物語花の宴・雲紙和漢朗詠集断簡・親行本新古今和歌集・呉越物語絵巻・神道集・破提宇子・狗張子・潤一郎新訳源氏物語草稿 他

なお、この展示は、國學院大學研究開発推進機構研究開発推進センターとの共催によるものです。

報告

第105回大会は、事務局校の國學院大學で開催されました。

全国大学国語国文学会第105回大会

公開講演会における中西進会長の「魂の記憶──文学はどのように語られたか──」では、時系列を基準とする歴史に対して文学は決別し、無時間で超域なものとなったことを、六国史、『源氏物語』、天人説話から、三島由紀夫『豊穣の海』、ベトナム戦争後の文学に至るまでの事例を挙げて論じられました。

全国大学国語国文学会第105回大会

公開シンポジウムでは、「モダニズムの中の異国──古典文学の新研究──」をテーマに掲げました。コーディネーターの仁平道明氏からこのテーマについて、異国とモダニズムの問題を、古代・中古に起源を求めて文学のモダニズムを考えようとするものであるとの趣旨説明がありました。そして、城崎陽子氏は上代文学における「モダニズム」を「近代性」「先進性」に置換可能な概念としてとらえ、それを具体化できるテーマとして「庭園」を掲げられ、文学で表現される「庭園」とそれが含み持つ文化活動を読み取られました。河添房江氏は『源氏物語』における唐物の享受の具体例を挙げながら、それらの中に漢ではなく和の美意識による評価、漢から和への再創造、和漢を融和させようとする美意識が認められることを示されました。また、堀川貴司氏は日本漢文学に詠み込まれる中国の名所が、そこから連想されるさまざまなイメージによって表現を豊かにする役割を果たしていることを、杭州の西湖の例を中心に説明されました。特に五山文学においては中国の名所を実見した作者も多く、その地を描いた絵画の影響もあることを明らかにされました。一方、大津直子氏は谷崎潤一郎が訳した『源氏物語』を用いて、戦前の旧訳と戦後の新訳を比較し、時流の強い影響を受けた点と守ろうとした点を明らかにされました。

各報告後のパネリスト間の議論と、会場からの質問への回答を通じて、新しい価値観が〈もの〉ともに移入されるものであることが改めて確認されました。上代から現代に至る異国の移入と影響のあり方をめぐる密度の高い議論に加え、文学表現と文化活動、古典文学における漢と和、そして実体験や絵画の文学に対する影響という様々なテーマにも及んだこの公開シンポジウムの成果は、機関誌『文学・語学』第204号に掲載されます。

なお、研究発表奨励賞には、池原陽斉氏(東洋大学大学院生)の「『古今和歌六帖』萬葉歌の再評価」が選ばれました。


第104回大会(平成23年度冬季大会)

案 内

日にち: 平成23(2011)年12月3日(土)、4日(日)
会 場: 大分大学教育福祉科学部 100号教室・200号教室・300号教室
〒870-1192 大分県大分市旦野原700
http://www.ed.oita-u.ac.jp/001ippann/004access/index.html
交 通: 大分駅から
【JR豊肥線】「大分大学前駅」下車(所要15分)。徒歩10分。
【大分バス】「大分駅前」もしくは「トキハデパート前①のりば」より、「大南団地・高江ニュータウン」「大分大学」行きに乗車し、「大分大学正門」もしくは「大分大学(構内)」下車(所要30分)。
連絡先: 電話 097-554-7533(藤原耕作研究室)
テーマ: キリスト教と近代文学
【趣旨】大分の地は、安土桃山時代、領主であったキリシタン大名大友宗麟を中心に、日本におけるキリスト教の一大布教地であった。現在においても、ここには数多くのキリシタン遺蹟が存在している。ここ大分の地で、キリシタンおよびキリスト教をキーワードとして、日本史の知見も参照しつつ、日本の近代文学について考えを深めてみたい。

第1日 12月3日(土)

11:00~11:30
11:30~12:00
12:30~
13:00~13:10
13:10~17:30 公開シンポジウム テーマ キリスト教と近代文学
13:10~14:10
 
14:30~17:30
 
19:00~21:00
 

公開シンポジウム・研究発表会要旨pdf
公開シンポジウム・研究発表会要旨(2)pdf


第2日 12月4日(日)

10:00~
10:30~11:55
総合司会

A会場(200号教室)

本学会常任委員・宮城学院女子大学教授
犬飼公之

B会場(300号教室)

本学会常任委員・中京大学教授
原國人
10:30~11:10 豊玉毘賣神話における「塞海坂返入」の意味

國學院大學大学院生 
室屋幸恵

大江健三郎『水死』論
―作家的課題への〈新しい挑戦〉

日本女子大学学術研究員 
鈴木恵美

〈司 会〉同志社女子大学特任教授
寺川眞知夫
〈司 会〉天理大学専任講師
渡部麻実
11:10~11:50 平安前期における挽歌の位相

万葉古代学研究所 
小倉久美子

モダリティにみる主題のニハ文

熊本県立大学大学院生 
佐澤有紀

〈司 会〉大東文化大学教授
藏中しのぶ
〈司 会〉滋賀短期大学教授
柿木重宜
12:00~13:00
13:00~14:25
総合司会

A会場(200号教室)

本学会常任委員・宮城学院女子大学教授
犬飼公之

B会場(300号教室)

本学会常任委員・中京大学教授
原國人
13:00~13:40 ノートルダム清心女子大学黒川文庫蔵 伝明融筆『源氏不審抄出』について

ノートルダム清心女子大学大学院生 
伊永好見

本邦文献に見られる漢語受容の一形態―「無心」の語史を通して―

九州大学大学院生 
張愚

〈司 会〉広島大学教授
妹尾好信
〈司 会〉広島女学院大学教授
柚木靖史
13:40~14:20 牧水と万葉集

同志社女子大学研究生 
田中教子

魚名「しいら【鱪】」について

駒澤大学教授 
萩原義雄

〈司 会〉宮崎産業経営大学教授
大坪利彦
〈司 会〉広島女学院大学教授
柚木靖史
14:30~15:00
 

報告

第105回大会は、キリシタン大名・大友宗麟ゆかりの地である大分で開催されました。公開シンポジウムでは、「キリスト教と近代文学」をテーマに掲げました。

全国大学国語国文学会第104回大会

松本常彦氏の基調講演「芥川龍之介〈キリシタンもの〉の水脈―『神々の微笑』を中心に―」では、芥川の学生時代のノート「貝多羅葉」(全集未収録)におけるキリスト教への関心の高さが詳細に示されました。さらに、芥川が「キリシタンもの」を執筆する時代背景が明らかにされるとともに、「神々の微笑」が日本近代文学における、宗教・自然・「アジア」などのテーマと深く関わるものであることが論じられました。


全国大学国語国文学会第104回大会

パネルディスカッションでは、コーディネーターの細川正義氏から「キリスト教と近代文学」というテーマについて、芥川龍之介と遠藤周作を対置することで、近代日本の精神風土におけるキリスト教文学の意義に新たな光を当てるものであるとの趣旨説明がありました。そして、長濵拓磨氏は遠藤周作『王の挽歌』を「弱者」としての大友宗麟の心の闇を描く作品として捉え、そこに芥川「神神の微笑」との違い(「日本」ではなく「日本人」の心の闇)を見ようとされました。宮坂覺氏は芥川の切支丹ものと遠藤の「神々と神と」「沈黙」「深い河」の本質を押さえながら、それらが本来宿命的に対立するはずの「近代精神」と「芸術と宗教」を混在して受け入れた近代日本における思想的苦闘を示すものであることを説かれました。一方、八木直樹氏(歴史学)はイエスズ会宣教師の残した史料を用いて、宗麟の宣教師・キリスト教保護が軍事・政治・経済上の利益を計算したものであったことや、宗麟の受洗が嫡子義統の成長などを待ってのものであったことを明らかにされました。

近代日本におけるキリスト教文学の系譜をめぐる密度の高い議論に加え、文学史実と文学の違い、近代日本における西洋と東洋、そして人間にとって宗教とは何かという大きなテーマにも及んだ公開シンポジウムの成果は、機関誌『文学・語学』第202号に掲載されます。

なお、研究奨励賞には、室屋幸恵氏(國學院大學大学院生)の「豊玉毘売賣神話における『塞海坂返入』の意味」が選ばれました。

(広報委員会記)


第103回大会(平成23年度夏季大会)

案 内

日にち: 平成23(2011)年6月4日(土)、5日(日)
会 場: 東洋大学白山キャンパス6号館 6210・6203・6204教室
〒112-8606 東京都文京区白山5丁目28番20号
http://www.toyo.ac.jp/access/hakusan_j.html
交 通: 【都営地下鉄三田線】「白山駅」下車。徒歩10分。
【営団地下鉄南北線】「本駒込駅」下車。徒歩10分。
連絡先: 電話・FAX 03-3945-7518(千艘秋男研究室)
テーマ: 近代文学を問う―〈古典の継承〉と変革―
【趣旨】西欧近代の摂取によって立ち上がった日本の近代文学は、自らの変革をしばしば〈古典の継承〉によって達成してきた。古典を受け継がれるべき典型としての普遍性を保持しているものとすると、近代文学は古典の普遍性を尊重しつつも、新たな側面を見出し、それを手掛かりに文学の継承と変革に挑んだといえよう。本シンポジウムでは、古典の存在によって誕生した近代文学の作品を対象に、言語・構造・表現様式など、諸問題について古典と近代の双方の立場から討議を行いたい。

第1日 6月4日(土)

11:00~11:30
11:30~12:30
12:30~
13:00
 
13:10~17:30 公開シンポジウム テーマ「近代文学を問う―〈古典の継承〉と変革―」
13:10~14:10
 
14:30~17:30
 
18:00~19:30
 

【選挙】投票日時:6月4日(土) 12:30~17:30 投票場所:6号館2階ラウンジ

公開シンポジウム・研究発表会要旨pdf


第2日 6月5日(日)

9:30~
10:00~12:00
総合司会

A会場(6203教室)

本学会常任委員・同志社女子大学教授
吉海直人

B会場(6204教室)

本学会常任委員・和洋女子大学教授
木谷喜美枝
10:00~10:40 万葉集「仙柘枝が歌三首」の位置づけ
―左注表記を手がかりに―

東洋大学大学院生 
安國宏紀

談義本と初期読本のあいだ
―大江文坡の異界表現をてがかりに―

東洋大学大学院生 
松岡芳恵

〈司 会〉奈良大学教授
上野誠
〈司 会〉清泉女子大学教授
佐伯孝弘
10:40~11:20 『萬葉集』の「風流士」
―訓点史の再考から―

東洋大学大学院生 
池原陽斉

近世初期俳壇の考察
―『俳諧蒙求』と『誹諧埋木』の関係―

フェリス女学院大学大学院生 
大江あい子

〈司 会〉青山学院大学教授
小川靖彦
〈司 会〉和洋女子大学教授
佐藤勝明
11:20~12:00 家長の語り方
―夏目漱石『行人』論―

早稲田大学大学院生 
吉田詩織

命令形を取る文
―その働きと意味分化の仕組みについて―

熊本県立大学大学院生 
佐藤友哉

〈司 会〉相模女子大学教授
戸松泉
〈司 会〉大妻女子大学教授 
吉田光浩
12:00~13:00
13:00~14:20
総合司会

A会場(6203教室)

本学会常任委員・東京学芸大学教授
河添房江

B会場(6204教室)

本学会常任委員・大分大学教授
藤原耕作
13:00~13:40 『源氏物語』「澪標」巻の譲国と准拠
―致仕大臣の招聘と光源氏の政治構想―

國學院大學兼任講師 
笹川勲

小説の地の文につかわれる「してしまう」
―述語を中心に―

大東文化大学非常勤講師 
呉幸栄

〈司 会〉明治大学非常勤講師
袴田光康
〈司 会〉明治大学教授
小野正弘
13:40~14:20 和歌から見る『源氏物語』リライトの方法
―与謝野晶子から田辺聖子へ―

大阪樟蔭女子大学教授 
中周子

サンマの漢字表記

青山学院大学教授 
安田尚道

〈司 会〉富山大学教授
呉羽長
〈司 会〉国立国語研究所(名誉所員)
飛田良文
14:30~15:30
 

報告

全国大学国語国文学会第103回大会

東日本大震災後初めて開催された大会である第103回大会は、盛況のうち無事終了しました。

公開シンポジウムに先立ち、中西進会長から、文学研究の使命が、人間にとって幸福とは何か、人間とはどうあるべきかを明らかにすることにあり、それを沈黙にさえ近い静かさで、ことばにし続けることが大切であるという挨拶がありました。また会場校来賓の竹村牧男東洋大学学長から、このような時期にこそ、国語・国文学について考えることが重要であるとのお言葉を賜りました。

全国大学国語国文学会第103回大会

公開シンポジウムでは、「近代文学を問う―〈古典の継承〉と変換―」というテーマに取り組みました。日本近代文学がどのように〈古典〉を受け止め、それを新たな文学の基礎としてきたか、様々な角度から明らかにすることを試みました。

竹内清己氏の基調講演「〈モダニズム〉と〈日本古典〉のゆきあい―堀辰雄から北方国文学へ―」では、堀の〈モダニズム〉が実は〈クラシズム〉(古典主義)と深く関わっていたこと、戦後に堀の文学が更科源蔵を通じて北方(北海道)へと渡っていったことなど、興味深い事実が明らかにされました。小さな「ゆきあひ」(折口信夫のことば)を繰り返しながら、継承され変革してゆく〈古典〉の姿が鮮やかに浮かび上がりました。

全国大学国語国文学会第103回大会

パネルディスカッションでは、気鋭の日本近代文学研究者が、近代文学を代表する作家たちの「〈古典の継承〉と変革」に新たな光を当てました。

大石直記氏は、森鴎外が処女塚伝説という古伝承を踏まえて戯曲「生田川」を制作することによって、後期の〈史伝〉への道を拓いたことを論じられました。鈴木啓子氏は、泉鏡花の広範囲な古典文芸利用を暗示的・連想的なものまで含めて提示しつつ、鏡花の伝説物語を近代文学の異端として位置付けられました。日高佳紀氏は、〈古典回帰〉とされる谷崎潤一郎の小説を、〈歴史〉に関わるものと捉え直し、「蘆刈」のプレテクストとの自在な関わり方を論じられました。庄司達也氏は、芥川龍之介の聴講ノートを手懸りに、「羅生門」の「(下人の)Sentimentalism」という表現がラムプレヒトに由来することを突き止め、それが単なる“感傷”ではないことを示し、新たな作品解釈を提示されました。

160名を超える人々が集う、熱気に満ちた会場で行われたこのシンポジウムの成果は、機関誌『文学・語学』第201号に掲載されます。

なお、研究奨励賞には、松岡芳恵氏(東洋大学大学院生)の「談義本と初期読本のあいだ―大江文坡の異界表現をてがかりに―」が選ばれました。

(広報委員会記)


第102回大会(平成22年度冬季大会)

案 内

日にち: 平成22(2010)年11月27日(土)、28日(日)、29日(月)
会 場: 宮城学院女子大学
〒981-8557 宮城県仙台市青葉区桜ヶ丘9丁目1番1号
交 通: 仙台駅から
【宮城交通バス】西口バスプール2番乗り場より、「泉アウトレット」または「宮城大学」行きに乗車し、「宮城学院前」下車(所要約30分)
【仙台市営バス】西口バスプール13番乗り場より、「宮城学院前」行きに乗車し、終点で下車。
http://www.mgu.ac.jp/02info/access/
連絡先: 宮城学院女子大学学芸学部日本文学科気付 星山健研究室
〒981-8557 宮城県仙台市青葉区桜ヶ丘9丁目1番1行
電話 022-279-1311(代表)

第1日 11月27日(土)

11:00~12:00
12:30~
13:00~13:10
 
13:10~17:30 公開シンポジウム テーマ「〈歌〉のちから」
13:10~14:10
14:30~17:30
 
18:30~20:30
 

公開シンポジウム・研究発表会要旨pdf


第2日 11月28日(日)

9:30~
10:00~12:00

A会場(第2講義館K301教室)

総合司会/
本学会常任委員・盛岡大学教授
大石泰夫

B会場(第2講義館K302教室)

総合司会/
本学会常任委員・和洋女子大学教授
木谷喜美枝
無助詞文の表現形式と構造

熊本県立大学大学院博士後期課程 
佐澤有紀

立志小説をめぐって

和洋女子大学助手補 
小川かずみ

〈司会〉大妻女子大学教授 
吉田光浩
〈司会〉富山大学教授 
金子幸代
『古事記』における天照大御神の位置づけ

明星学園浦和学院高等学校非常勤講師 
坂根誠

『彼岸過迄』論
―「洋杖(ステッキ)」と「傘」の隣接を起点として―

早稲田大学大学院博士後期課程 
井内美由起

〈司会〉同志社女子大学特任教授 
寺川眞知夫
〈司会〉フェリス女学院大学教授 
佐藤裕子
高橋虫麻呂の旅の文芸
―「筑波山に登れる歌」をめぐって―

國學院大學大学院博士後期課程 
森淳

志賀直哉「城の崎にて」の形成
―「城の崎にて」から「城崎にて」へ―

尾道大学教授 
寺杣雅人

〈司会〉東洋大学教授 
菊地義裕
〈司会〉フェリス女学院大学教授 
佐藤裕子
12:00~13:00
13:00~15:40

A会場(第2講義館K301教室)

総合司会/
本学会常任委員・東洋大学教授
千艘秋男

B会場(第2講義館K302教室)

総合司会/
本学会常任委員・奈良大学教授
上野誠
万葉集における宴席歌の手法

宮城学院高等学校教諭 
阿部りか

中原中也の歌―韻律の研究

日本学術振興会特別研究員 
小澤真

〈司会〉國學院大學兼任講師 
城﨑陽子
〈司会〉富山大学教授 
金子幸代
『源氏物語』の被け物
―「若菜上」巻「女の装束に細長を添へて」の表現を中心に―

國學院大學大学院博士後期課程 
畠山大二郎

西脇順三郎の古代観について

修文大学短期大学部准教授 
太田昌孝

〈司会〉東京学芸大学教授 
河添房江
〈司会〉同志社大学教授 
田中励儀
『和泉式部日記』の紅葉狩をめぐる表現構造
―「高瀬舟」を起点として―

フェリス女学院大学博士後期課程 
加藤和泉

開高健の釣魚に関する考察
―生と死をみつめる視線―

法政大学女子高等学校講師 
杉崎輝久

〈司会〉昭和女子大学教授 
大倉比呂志
〈司会〉同志社大学教授 
田中励儀
歌題集成書『明題古今抄』について

神戸女学院大学教授 
藏中さやか

 
〈司会〉二松学舎大学専任講師 
五月女肇志
 
15:45~16:10
 

第3日 11月29日(月)

報告

全国大学国語国文学会第102回大会

第102回大会は無事終了しました。

第102回大会の公開シンポジウムでは、「〈歌〉のちから」をテーマに、歌謡や和歌、さらに声の本質について考察を深めました。


全国大学国語国文学会第102回大会

中西進氏(本学会会長)の基調講演「好色・幽玄のこと」では、和歌が心のやさしさ(好色)と神異なるものへの畏れ(幽玄)からなる、普遍的かつ日常的なものであることが説かれました。またパネルディスカッションでは、馬場光子氏(日本中世文学・歌謡史)は、歌謡の声の力が異界の神の心を揺さぶるものであると論じられ、安森敏隆氏(日本近代文学)は「命」を見つめた近現代の短歌を取り上げられ、大内典氏(仏教音楽)は、日本で独自に発達した声明の声の力を明らかにされました。古典と近代を往還しながら、〈うた〉の持つ根源的な力を見つめることとなりました。

全国大学国語国文学会第102回大会

パネリストによる報告を受けた議論では、〈うた〉は救いたりえるか、散文の成立は〈うた〉にどのような影響を与えたか、〈うた〉にとって形式はどのような意味を持つか(音律や曲調の違いは何を意味するか)などの論点を中心に、本質的な議論が交わされました。この公開シンポジウムの成果は、機関誌『文学・語学』第199号に掲載されます。

なお、研究奨励賞には、井内美由起氏(早稲田大学大学院博士課程後期)の「『彼岸過迄』論―「洋杖(ステッキ)」と「傘」の隣接を起点として―」が選ばれました。

(広報委員会記)


第101回大会(平成22年度夏季大会)

案 内

日にち: 平成22年(2010)6月5日(土)、6日(日)、7日(月)
会 場: 同志社女子大学(今出川キャンパス)
〒601-0893 京都市上京区今出川寺通リ寺町西入ル
交 通: 地下鉄今出川駅3番出口(京都駅側の改札を出て左の階段)から地上に出、烏丸・今出川の交差点の横断歩道を渡らず、左手に進み、京都御苑と同志社大学の間の道(今出川通)を東(山)の方へと進む二つ目の信号(点滅信号)の所が正門
http://www.dwc.doshisha.ac.jp/access/access02.html
連絡先: 075-251-4106(直通) 同志社女子大学表象文化学部日本語日本文学科事務室
tyasumor@dwc.doshisha.ac.jp

第1日 6月5日(土)

11:00~12:00
12:30~
13:00~13:10
 
13:10~17:30 公開シンポジウム テーマ「日本文学における補完の関係」
13:10~14:10
14:30~17:30
 
18:00~19:30
 

第2日 6月6日(日)

9:30~
10:00~12:00

A会場(純正館3階S301教室)

本学会常任委員・宮城学院女子大学教授
犬飼公之

B会場(純正館3階S303教室)

本学会常任委員・青山学院大学教授
安田尚道
『日本霊異記』に描かれた地獄の性格

同志社女子大学大学院研究生 
片山由美

鶴峰戊申『洋語背誦歌』をめぐって

同志社大学大学院博士課程後期 
丸山健一郎

〈司会〉東京大学教授 
三角洋一
〈司会〉国際基督教大学アジア文化研究所客員所員 
飛田良文
口伝・記録と説話

同志社女子大学嘱託講師 
佐藤愛弓

『諸道聴耳世間狙』と演劇
―巻五の二「祈祷はなでこむ天狗の羽箒」と『霧太郎天狗酒醼』について―

東洋高等学校非常勤講師 
大野絵美子

〈司会〉東京大学教授 
三角洋一
〈司会〉国際基督教大学アジア文化研究所客員所員 
飛田良文
春日なる三笠の山に出し月
―平城京の東―

奈良大学教授 
上野誠

三宅花圃「萩桔梗」論
―女性の運命への視点―

鵠沼高等学校非常勤講師 
岡西愛濃

〈司会〉東洋大学教授 
菊地義裕
〈司会〉奈良教育大学准教授 
日高佳紀
12:00~13:00
13:00~15:00

A会場(純正館3階S301教室)

本学会常任委員・東洋大学教授
千艘秋男

B会場(純正館3階S303教室)

本学会常任委員・和洋女子大学教授
木谷喜美枝
『源氏物語』「同じ心」考
―薫と大君を中心に―

同志社女子大学大学院博士課程前期 
安永美保

夏目漱石「倫敦塔」
―〈鳴らない音〉から立ち上がる作品世界―

フェリス女学院大学大学院博士課程後期 
山本真里江

〈司会〉相模女子大学教授 
後藤幸良
〈司会〉早稲田大学教授 
石原千秋
落葉の宮と「食」
―夕霧巻の方法として―

フェリス女学院大学大学院博士課程後期 
堀江マサ子

女たちのネットワーク
―夏目漱石『明暗』論―

早稲田大学大学院博士課程前期 
伊藤かおり

〈司会〉相模女子大学教授 
後藤幸良
〈司会〉東海大学名誉教授 
小泉浩一郎
『蜻蛉日記』と「今」を表わす時間表現
―「過ぎにし年月ごろのこと」の現在化と「日記」意識―

ソウル大学人文学研究院HK教授 
李美淑

日本文学と狂気あるいは精神病理学

高知女子大学教授 
林美朗

〈司会〉武蔵野大学教授 
川村裕子
〈司会〉和洋女子大学教授 
仁平道明
15:10~
 

第3日 6月7日(月)

報告

全国大学国語国文学会第101回大会

第101回大会は無事終了しました。

第101回大会の公開シンポジウムでは、「日本文学における補完の関係」という新しいテーマに取り組みました。「補完」という視点は、従来の“受容”や“影響”という見方を超えて、複数の文学が双方向的に影響し合いながら完成に向かう、というダイナミックなプロセスを捉えようとするものです。

全国大学国語国文学会第101回大会

ニコラス・J・ティール氏の基調講演「日本の短詩形文学と外国の短詩形文学の関係」では、まず、氏が日本の和歌を通じて再発見した、イギリスの短詩の歴史が紹介され、次に19世紀以来の和歌の英訳の歩みが具体的に示されました。そして、日本の短詩形文学が、『ギリシャ詞華集』やペルシャの『ルバイヤート』などとともに、大きな刺激となり、今日のイギリス・アメリカ文学において短詩形文学が広がりを見せていることが紹介されました。

またパネルディスカッションでは、それぞれのパネリストが、文学における「補完」とは何かを思索しながら、日本文学への新しいアプローチを試みました。

上野誠氏(日本上代文学)は、日本文学研究を進めるにあたって、他分野との対話という自覚的な「補完」が必要であることを強調されました。

本間洋一氏(日本漢文学)は、中国古典詩と対照することで初めて見えてくる、若山牧水の短歌や高村光太郎の詩の心を鮮やかに示されました。

関口安義氏(日本近代文学)は、芥川龍之介「河童」の〈不安〉が、1920~30年代という時代の〈不安〉の表れであることを、芥川が利用した文献の詳細な検討を通じて明らかにされました。

ロバート・キャンベル氏特別講演  パネルディスカッション

“受容”“影響”という見方を問い直すとともに、新しい文学研究の可能性を示した、この公開シンポジウムの成果は、機関誌『文学・語学』第198号に掲載されます。

なお、研究奨励賞には、岡西愛濃氏(鵠沼高等学校非常勤講師)の「三宅花圃『萩桔梗』論-女性の運命への視点-」が選ばれました。

(広報委員会記)


第100回記念大会(平成21年度冬季大会)

案 内

日にち: 平成21年(2009)12月12日(土)、13日(日)、14日(月)
会 場: 青山学院大学 青山キャンパス
〒150-8366 東京都渋谷区渋谷4-4-25
電 話: 03-3409-7917 青山学院大学文学部日本文学科研究室
(JR山手線「渋谷」ハチ公口より宮益坂の左側(北側)の歩道をのぼり徒歩12分/地下鉄「表参道」B1出口より西へ徒歩6分)

○構内には自動車は入れません。電車をご利用ください。
○13日(日)には学内の食堂は営業しておりません。
○本大会に関することは、大会会場校にご連絡をお願いします。
○学会費納入は大会会場では行いません。
○12月14日(月)の文学実地踏査は、大会会場校が付近の文学遺跡の案内図を用意しています。


第1日 12月12日(土)

11:00~12:30
13:00~
13:30~13:40
 
13:40~17:30(14号館12階大会議室)公開シンポジウム テーマ「日本語はどこへ行くのか―グローバル化の荒波の中で―」
13:40~14:40
15:00~17:30
 
18:00~19:30
 

第2日 12月13日(日)

10:00~
10:30~11:50
総合司会

A会場(15号館4階15405教室)

本学会常任委員・和洋女子大学教授
木谷喜美枝

B会場(15号館4階15406教室)

本学常任委員・宮城女学院大学教授
犬飼公之
10:30~11:10 文末表現からみた明治期における小説の文章

東洋大学非常勤講師 
田貝和子

検税使大伴卿の筑波山に登る時の歌
―下級官僚虫麻呂歌の志向―

福岡女学院大学非常勤講師 
西地貴子

〈司 会〉滋賀短期大学教授 
柿木重宜
〈司 会〉國學院大學教授 
辰巳正明
11:10~11:50 反対語における構造分析
―漢字教育から文章論教育へ―

北澤・瀬田中学校非常勤講師 
中村道広

『和泉式部日記』の服飾表現
―帥宮の「出だし袿」を中心として―

國學院大學大学院博士課程後期 
渡辺開紀

〈司 会〉滋賀短期大学教授 柿木重宜 〈司 会〉中央大学附属高等学校教諭 
金井利浩
11:50~13:00
13:00~15:00
総合司会

A会場(15号館4階15405教室)

本学会常任委員・和洋女子大学教授
木谷喜美枝

B会場(15号館4階15406教室)

本学常任委員・宮城女学院大学教授
犬飼公之
13:00~13:40 古代語における係助詞「は」の「取り立て」用法

精華女子短期大学助教 
川俣沙織

西行「おほかたの露」の歌
―『御裳濯河歌合』十八番歌の俊成判詞との関係から―

國學院大學研究開発推進機構PD研究員 
荒木優也

〈司 会〉青山学院大学教授 近藤泰弘 〈司 会〉二松学舎大学講師 
五月女肇志
13:40~14:20 題目の範囲と真の題目

熊本県立大学教授 
半藤英明

森鷗外『文づかひ』論

東海大学非常勤講師 
小川康子

〈司 会〉大妻女子大学教授 吉田光浩 〈司 会〉富山大学教授 金子幸代
14:20~15:00 日本社会における意識・認識の記号化:日欧語の対照研究から

ノートルダム清心女子大学教授 
氏家洋子

石川淳「新釈古事記」論

青山学院大学大学院博士課程後期 
帆苅基生

〈司 会〉大妻女子大学教授 吉田光浩 〈司 会〉東京成徳大学准教授 
庄司達也
15:00~
 

第3日 12月14日(月)

報告

全国大学国語国文学会第百回記念大会

第100回記念大会は無事終了しました。

公開シンポジウムでは、充実した議論が交わされました。ロバート・キャンベル氏の特別講演「日本語から世界に向かう―『米欧回覧実記』と明治初期の啓蒙主義―」では、久米邦武著『米欧回覧実記』についての注釈作業の成果をもとに、わかりやすく読んで人を飽きさせない書物として、『米欧回覧実記』の文体が生み出されてゆく過程が、生々しく示されました。

またパネルディスカッションでは、2008年10月に刊行された、水村美苗氏『日本語が亡びる時 英語の世紀の中で』(筑摩書房)の問題提起を真正面から受け止めた報告が、日本文学・日本語学・国語教育学のそれぞれの分野の専門家からなされました。

飛田良文氏(日本語学)は、日本語の文構造が世界の言語の中で決して特殊なものでなく、今後大きな可能性を持つ言語であることを示されました。勝原晴希氏(日本近代文学)は、ことばが無表情な記号となっていった日本近代詩の歴史をたどりながら、象徴としてのことばを取り戻すことの重要さを説かれました。原國人氏(国語教育学)は、世界の多元化が進む中で、日本語の必要性が一層強まることを指摘され、そして世田谷教育特区教科「日本語」の実践の成果を紹介されました。

ロバート・キャンベル氏特別講演  パネルディスカッション

今後の日本語のために、研究者に何ができるかを考えたこの公開シンポジウムの成果は、機関誌『文学・語学』第196号に掲載されます。

なお、研究発表奨励賞には、帆苅基生氏(青山学院大学大学院博士課程後期)の「石川淳『新釈古事記』論」が選ばれ、閉会式にて賞が授与されました。

(広報委員会記)






第99回 平成21(2009)年度夏季大会 6月6日(土)~8日(月)
明治大学(駿河台校舎)
公開シンポジウムテーマ
「明治の言葉・文学-伝統と革新をめぐって-」
基調講演:宮崎勉「志賀直哉が読んだ明治文学」
パネリスト:木谷喜美枝、小泉浩一郎、今野真二
コーディネーター:石原千秋
文学実地踏査「駿河台近辺の明治文学遺跡をめぐる」