第126回 令和4年度 冬季大会
開催日・会場
令和4年12月3日(土)・4日(日)
京都女子大学 J校舎(〒605―0927 京都府京都市東山区上馬町544)
○会場とZoomによるハイブリッド形式で行います。 アクセス
大会参加申込フォーム
*申込み締切:11月26日(土)
大会プログラム
大会テーマ
古典文学の伝えかた―「現代語訳」の方法を考える―
古典文学を発信するに当たって「現代語訳」が不可欠なツールだということは、現在おそらく衆目の一致する見解ではないかと思います。大学を含めた学校教育において必須であるのはもちろん、注釈書や梗概書においても現代語訳は欠かせないもので、時に原文より優先して掲出される場合すらあります。
しかし、古文を現代語に置き換えるに際しては様々な障壁があり、現代語訳によって伝えられる作品の情報は必ずしも十全なものとは言えません。現代語訳という一種の「翻訳」の難しさといえましょう。本テーマは、この「古典文学の現代語訳」が抱える様々な問題を検討し、その検討を通して、現在の、そしてこれからの「古典文学の発信」のありかたを探ろうとするものです。
コーディネーター/司会 京都女子大学 准教授 池原陽斉
第1日 12月3日(土)
11:00~12:00
代表委員会 J301教室 キャンパスマップ
12:15~12:45
委員会 J301教室
12:45~
会場 J302教室
受付(Zoom開場 13:00~)
学会代表挨拶 和洋女子大学教授 吉井美弥子
会場校挨拶 京都女子大学文学部長 坂口満宏
13:45~17:45
シンポジウム
和歌の「現代語訳」をめぐって―学校教育を視野に―
岡山大学教授 松田聡
古典文学を伝える場としては、学校がその最前線と言っても過言ではないだろう。そこで、本報告では古文の授業における和歌の「現代語訳」について考えてみたい。
教科書や注釈書にはしばしば「現代語訳」が付されているが、よく見るとそのありようは様々である。便宜的に「逐語訳」「解釈(注釈を含んだ訳文)」「翻案(原作の趣意に基づく別種の作品)」の三種に大別してみると、これらは一口に「現代語訳」と言ってもその目指すところが一様ではないということに気づく。当然のことながら授業では指導の方法に応じた使い分けが求められるというわけである。しかし、どんな訳文でもそれを一方的に示すだけでは古典文学を伝える方法としては不十分であろう。そもそも訳文によって原文の趣を完全に伝えることは難しいからである。特に和歌は原文との距離が大きく、訳文と原文との対照は必須のプロセスと言える。
思うに、原文から「逐語訳」を作り、そこから更に「解釈」や「翻案」を作り出す(あるいはそのプロセスを追体験する)といった、読み手側の主体的な関わりが重要なのではないか。原文を「現代語訳」するという、そのプロセスに古典を鑑賞するという体験が含まれているからである。如上の視点から、本報告では万葉集の歌を例として、その新たな解釈を模索しつつ、読み手が訳出に参加する(=「現代語訳」を動態として活用する)方法について考察する。
ことばをくらべて考えるための「現代語訳」
群馬県立女子大学専任講師 富岡宏太
古典文学を訳出する際、まずは、一語一語を正確に逐語訳してみることが求められる。しかし、実際には、逐語訳すると現代語の感覚として不自然になる場合や、注釈書等を見ても逐語訳がなされていない場合が少なくない。
本報告では、中古和文資料を主な対象として、逐語訳すると不自然な箇所、注釈書において逐語訳がなされていない箇所、古典本文にない言語形式が現代語訳で付与されている箇所に注目する。
これらの箇所について、「どのように訳せば不自然でなくなるのか」「逐語訳でないとしたらどのように訳されているのか」「どのような形式が訳出にあたって付与されているのか」を確認し、その意味するところを探っていく。さらに、「それでもあえて逐語訳することで見えてくるものはないのか」についても、学生に対する研究指導の中で得られた事例を紹介したい。
以上の検討を通して、古典語と現代語の言語表現形式の違いを示しつつ、現代語の感覚を相対化するためのきっかけとして、逐語訳を利用することを提案したい。
『更級日記』の現代語訳―江國香織訳を中心に―
早稲田大学教授 福家俊幸
古典教育は基本的に原文でなされている。新しい指導要領の中で、文法に拘り過ぎる傾向が批判的に押さえられ、古典を現代との連続性の中で捉えなおし、古典を通しての言語活動も推奨されているが、あくまでも原文が中心にあることは動かない。
本報告は、現代を代表する作家の一人、江國香織が2016年に訳した『更級日記』を中心に据えつつ、平安時代の仮名日記(日記文学)を現代語訳(翻訳)する意義と問題点を考究する。実在した生身の人間が自分の体験を記す仮名日記は、物語以上に、当時の歴史や文化などの背景に寄りかかるところが多い。訳出に際して、書き手個人の情報も含めて、どれくらい織り込むのかという大きな問題に逢着する。江國の訳はそのような周辺情報に対して禁欲的に見えるが、その一方で感情表現などの工夫がみずみずしく作品世界を再現することにつながっている。一方で、研究者の立場から、島内景二が『新訳更級日記』(2020年)を上梓し、その訳には研究者としての知見が盛り込まれ、訳の中に当時の書き手が囲繞された世界が再現され、思考が跡付けられている。島内の訳と比べることで、さらに古典や仮名日記の訳がどうあるべきなのか、原文とどう対峙すべきなのかというヒントも見えてこよう。現代作家の現代語訳(翻訳)を古典教育に活用する方途まで示すことができれば幸いである。
漢文「現代語訳」の諸相―漢詩をもとに考える
京都女子大学准教授 加藤聰
漢文の「現代語訳」は、たとえ作品が日本人の手に成るものであったとしても、それが古典中国語という外国語によって綴られる点において本シンポジウムの他報告者が扱うものとは一様でない。また現在我々が目にする漢文「現代語訳」の多くには、原文と訳文との媒介としてさらに訓読が併用される点において、一般的な外国語翻訳ともまた性質を異にする。
本報告では、漢詩を対象にその「現代語訳」の実相について、時に日本語としても通用する「漢語」への向きあいかたや、漢詩が内包する韻律や対句、典故をいかに表現するかなどについて、「現代語訳」に併記される原文や訓読、語釈(注釈)との関係にも注意しつつ紹介と分析を試みる。
さらには、現在通行する漢詩の「現代語訳」が、いかなる考え方や方針をもってなされているか、またそれがどのように示されているのか(あるいはいないのか)についても、自らの訳業への反省をこめつつ紹介し、諸賢の議論に供したい。
第2日 12月4日(日)
9:00~
受付(Zoom開場 9:15~)
9:30~16:10
研究発表会 A・B 2会場
A会場 J301教室
9:30~12:20
- 『古事記』国譲り神話における「小浜」の役割
フェリス女学院大学大学院生 平山真由子 - 『古事記』「酒楽の歌」の意義―三九番歌を主として―
國學院大學大学院特別研究生 藤嶋健太 - 国生み神話・黄泉国訪問神話の再話絵本のテキストについて―子どもへの配慮の工夫について考える―
東京都市大学教授 原田留美 - 大分考―地名叙述のヴァリアント―
東京都立大学大学院生 長谷川豊輝
12:20~13:20
休憩
13:20~14:00
- 古浄瑠璃における悪と敵役の造型
名古屋大学大学院生 松波伸浩
14:10~16:10
国際特別企画
- 日本古典文学の韓国語訳における諸問題
全州大学校助教授 片龍雨 - 『懐風藻』序文に見られる『懐風藻』の位置づけ
フランス国立高等研究実習院院生 デフランス・アーサー - 二十世紀初期イタリアにおける記紀万葉の翻訳とその受容―パチーフィコ・アルカンジェリと下位春吉の『万葉集』翻訳を中心に―
イタリア国立ナポリ東洋大学専任講師 アントニオ・マニエーリ
B会場 J302教室
9:30~12:20
- 玉鬘の六条院参入―若紫巻との重なりに注目して
学習院大学助教 毛利香奈子 - 祐倫『光源氏一部歌』における『源氏釈』享受の実態について
筑波大学大学院生 小林雄大 - よるべなき中将の君―『源氏物語』「幻」巻における紫の上追慕をめぐって―
フェリス女学院大学非常勤講師 佐藤洋美 - 『源氏物語』の和歌における「波」と「衣」の重層―対比表現の開拓―
早稲田大学大学院生 草野勝
12:20~13:20
休憩
13:20~15:30
- 仏にならぬ身の嬉しさ―『殷富門院大輔集』方便品十首詠最終歌の解釈
二松學舍大学教授 五月女肇志 - 『堤中納言物語』「虫めづる姫君」の「白き袴」―対極としての「蝶めづる姫君」と近似する『今とりかへばや』の男装―
立教大学日本学研究所研究員 馬場淳子 - 江戸川乱歩の初期の創作活動―大正一二年二月の草稿群を視座として
早稲田大学大学院生 塩井祥子
16:20~16:50
研究発表奨励賞授与式 A会場 J301教室
- 研究発表奨励賞:小林雄大氏(筑波大学大学院生)
閉会の辞 京都女子大学准教授 池原陽斉