全国大学国語国文学会賞

受賞者の所属は、受賞当時のものです。

第18回全国大学国語国文学会賞  令和5(2023)年度

選考経緯並びに受賞業績紹介

学会賞選考委員会委員長  村田 右富実

本年度は該当作なしとなりました。

第17回全国大学国語国文学会賞  令和4(2022)年度

泉谷 瞬氏(近畿大学講師)

『結婚の結節点──現代女性文学と中途的ジェンダー──』
(和泉書院 2021年6月刊)

選考経緯並びに受賞業績紹介

学会賞選考委員会委員長 庄司 達也

二〇二二年度もまたコロナ災禍の中にあったが、全国大学国語国文学会賞選考委員による厳正かつ慎重な選考を各方面のご協力により恙なく進められたことを、先ずは報告したい。二〇二二年三月二四日に選考委員会(Zoomミーティングによる)を開催し、本年度の受賞候補として推薦された会員の業績について検討した。今期の議論では、昨今の研究成果が書籍出版の形を取らない―これまでとは異なる形態によって行われているものも少なくはない現状に対応する学会賞の在り方が提言されたこともあり、さまざまに意見を交換し、選考を進めた。その結果、満場一致で泉谷瞬氏の著書『結婚の結節点――現代女性文学と中途的ジェンダー分析――』を学会賞にふさわしい力作であると高く評価し、同年四月三日に開催され代表委員会(Zoomミーティングによる)に本書を推薦することと決定した。 代表委員会において、選考委員会での審査過程が報告され、審議の結果、同氏に対する学会賞の授与が承認された。

本書は、一九八〇年代以降の現代女性作家による小説について、結婚制度にまつわる社会状況の切り口からの作品分析がまとめられた論集である。現代日本の結婚制度がジェンダーの身体化や主体の自己認知などとどのように相関しているかという問題意識をもとに、とくに、労働・異性愛主義・生殖という三つの観点から、ジェンダー理論をはじめとする多様な理論によって作品を分析し、背景となる社会・制度的状況への批評性が考察されている。

「序章」で本書において「結婚」に注目して女性表象を扱うことの意義と可能性、その方法論が示されている。その上で、「第一部 結婚の境界線を探ること」では、一九八〇年代以降の労働状況と女性の「結婚」との関わりについて、山本文緒「囚われ人のジレンマ」、絲山秋子「勤労感謝の日」(第一章)、津村記久子 「地下鉄の叙事詩」(第二章)の分析をもとに、労働の文脈から「結婚」の枠組みを問い直すことが試みられる。続く「第二部 異性愛主義の延命」では、婚姻制度をライフコースから外して生きる女性の表象について、笙野頼子「説教師カニバットと百人の危ない美女」(第三章)、多和田葉子 「犬婿入り」(第四章)、松浦理英子 「ナチュラル・ウーマン」(第五章)の分析をもとに、異性愛主義と婚姻制度との癒着が、それ以外の性愛や営為を客体化することの上に成り立っていることが指摘される。そして「第三部 選択肢としての結婚/まとわりつく結婚」では、現代女性の生活と生殖の関係をもとに「結婚」を「する/しない」という選択が女性のライフコースに及ぼす問題について、金原ひとみ「婚前」・「マザース」など諸作品(第六章)、鹿島田真希「冥途めぐり」(第七章)、姫野カオルコ『風のささやき』所収の掌編作品(第八章)の分析をもとに検討されている。以上のように、本書は、三部立てに全八章の論考で構成され、最後に各章の要点と序章で提示された問題点に関するまとめが述べられた「終章」が加えられている。

本書の目論見は、女性作家の表現と、それを分析してきたフェミニズム批評やジェンダー批評が果たしてきた従来の「家族」を相対化する視点をもとに、「家族」の基底にあると目される「結婚」を議論の争点として置くことにある。ここから、幸福な「家族」をどのように作るべきか、という問いから、「家族」であらねばならない理由は何か、と問いを逆転させるために「家族を成立させる契機」としての「結婚」という制度に内包された秩序と女性への抑圧の構造を、現代女性作家による文学表象を対象に、炙り出そうというのである。

本書では、社会状況や現象を説明するための「素材」として文学作品を扱うのではなく、結婚の制度的・法的に規定された単一的な関係性を保留した上で、文学作品が示唆するオルタナティブな関係と主体のあり方を捉えようとする姿勢に貫かれている。 タイトルに示された「結節点」とは、「表面的には意識されていない、あるいは社会的に可視化されていない複数の要素が、 ある特定の状況において現実感を伴って個人の生活上へ唐突に「点」として出現すると
いう意味」で用いられているという。まさに、文学作品という、もう一つの現実の上に現れた「点」の有り様を精緻に読み取りながら、それを、背後に潜む複数の要素のつながりの上で捉え直すこと。ここに社会・文化批評としての文学研究の可能性が示されている。

ジェンダー理論を中心に据えつつ、多様な学問領域の理論を取り込みながら、タイプの異なる理論の交差を積極的に進めて論述することで、理論的射程の拡がりを備えつつ、各章のテーマ設定が緊密に連関させられた構成で、ジェンダー理論による現代日本文学研究に新たな可能性が認められる研究成果である。

第16回全国大学国語国文学会賞  令和3(2021)年度

加藤 夢三氏(お茶の水女子大学助教)

『合理的なものの詩学──近現代日本文学と理論物理学の邂逅──』
(ひつじ書房 2019年11月刊)

選考経緯並びに受賞業績紹介

学会賞選考委員会委員長 吉井 美弥子

本年度も、選考委員による厳正かつ慎重な選考が進められた。2021年3月4日に開催した選考委員会(Zoomミーティングによる)は全選考委員が出席し、長時間にわたって候補作の細部にいたるまで意見を述べ合った。その結果、満場一致で加藤夢三氏の著書『合理的なものの詩学──近現代日本文学と理論物理学の邂逅──』を学会賞にふさわしい力作であると高く評価し、同年3月28日に開催された代表委員会(Zoomミーティングによる)に本書を推薦することと決定した。代表委員会において、選考委員会の審査過程が報告され審議の結果、学会賞受賞が承認された。

以下、本書の内容と構成について紹介する。本書は、主に昭和初期の文学を対象に、同時代の論壇・文壇において文学者や思想家による自然科学受容の実態を捉えながら、近現代日本文学が理論物理学および周辺領域の学術的知見をどのように受け止め、そこにいかなる思考の可能性を見出そうとしたのか、その創造行為の様相を解明することが企図されたものである。

「序章 思考の光源としての理論物理学」において問題の所在が示された上で、「Ⅰ 文芸思潮と理論物理学の交通と接点」・「Ⅱ 横光利一の文学活動における理論物理学の受容と展開」・「Ⅲ モダニズム文学者と数理諸科学の邂逅と帰趨」の3部立てに全9章の論考で展開、「終章 パラドックスを記述するための文学的想像力」でまとめられた本論に、東浩紀『クォンタム・ファミリーズ』および円城塔『Self-Reference ENGINE』といった現代文学を対象に論じた補論2本が加えられて構成されている。

本書の試みは、科学と芸術という日常的には両極にあると思われるものの経験を、文化思潮を支える両翼として捉え、評論や小説といった文学言説において扱われた「科学」の様態を明らかにしようとするものであるが、ある特定の現象としてではなく、科学と文学を横断する言説空間の総体を検討している点に特徴がある。

第Ⅰ部では、同時代パラダイムとしての「科学」をめぐる言説について、1930年代のジャーナリズムにおける「科学的精神」の位置づけ(第一章)、大正~昭和の理論物理学者・石原純の論説(第二章)、昭和初期の「科学小説」論の言説布置(第三章)といった内容で検討される。こうした言説の枠組みを、第Ⅱ部では1920年代から30年代前半における文学と科学が交錯した事例として横光利一の文学が扱われ(第四~六章)、第Ⅲ部では1920年代から30年代にかけての数理諸科学と文学との邂逅について、中河與一(第七章)、稲垣足穂(第八章)、夢野久作(第九章)それぞれの言説が扱われている。

石原純をはじめ、戸坂潤、田邉元ら同時代の科学哲学者の言説をふまえながら、それらが文学の評論や創作に与えた影響や同時代性が丹念に検証されており、文学表現と科学との関連が浮き彫りにされている。そうした手堅い分析とともに、最新の科学思想史および科学社会史の知見をふまえたアプローチがなされている点で、文学研究そのものの領域を拡張しうる高度の学際性を有した内容と認めることができる。

以上から、加藤夢三氏のさらなる飛躍への大きな期待を込め、本書に第16回全国大学国語国文学会賞を授与する次第である。

第15回全国大学国語国文学会賞  令和2(2020)年度

ホルカ・イリナ氏(東京大学准教授)

『島崎藤村 ひらかれるテクスト メディア・他者・ジェンダー』
(勉誠出版 2018年3月刊)

選考経緯並びに受賞業績紹介

学会賞選考委員会委員長 郡千寿子

選考委員会は例年通り立ち上げられ、選考がすすめられたが、2020年3月の最終選考委員会が、新型コロナ感染拡大の影響で開催できない事態となったため、紙上会議で慎重に議論が重ねられた。その結果、最終的に委員全員が、ホルカ・イリナ氏の著書『島崎藤村 ひらかれるテクスト メディア・他者・ジェンダー』について、学会賞にふさわしいと意見が一致し、4月の代表委員会に本書の推薦を決定した。代表委員会(紙上)で、選考委員会の審査過程が報告され審議がなされ、学会賞受賞が承認された。

著者のホルカ・イリナ氏は、ルーマニア生まれの42歳(選考日現在)で、博士(文学・大阪大学)の学位を取得されているが、日本語を母語とされない研究者の受賞は、今後の日本語日本文学研究の可能性という点でも注目に値するといえる。

本書の構成は、以下の通りである。
 序 章 島崎藤村のテクストを〈今〉にひらく
 第一部 メディアのなかのテクスト
 第二部 テクストのなかの他者
 第三部 ジェンダーを攪乱するテクスト
*十章で構成され、巻末に「人名・作品名」他索引を付す。

島崎藤村作品は藤村自身の周辺にその素材を求めたものが多く、先行研究もまた、そのような事情を踏まえ、そこに関わる点に焦点を当てて作品読解を、そして分析を行ってきた傾向が強い。そのような先行研究の有り様を踏まえた上で、藤村作品の発表媒体―新聞、雑誌、教科書などの媒体に注目し、藤村文学の新たな価値の発見を目論んだものである。著者は、「序章」の冒頭にこのように綴っている。

本書は、島崎藤村のテクストを、発表メディアの特質や同時代の家制度とジェンダー規範、あるいは他言語への翻訳やテクスト中に引用された〈他者の言説〉と交差させることで、新たな文脈に置き換えられながら今日においても読み続けられる価値を捉えることを企図している。

藤村は、「私小説」の誕生に深く関わった作家として位置づけられ、その観点から深く探究されてきた作家であるが、著者は、読者が藤村の文学を受容する場(メディア)に注目し、藤村の文学が如何に当時の社会に対して「ひらかれてきたか」、当代に対して強い批評性を持ったものとしてあったかを論証している。

具体的な例を示せば、第一章「新聞小説と挿絵」では、新聞連載小説である「春」を取り上げ、「挿絵」の果たした役割、挿絵画家名取春仙の目論見などを分析する。春仙の狙いが「「進んだ小説」の読者=「新型」挿絵の鑑賞者の自由な解釈を促そうとするところにある」ことを指摘し、「モデル小説」として受容されてきた作品に対してそれに代わる新たな価値を提示した。

本書の著者がルーマニアで日本文学作品に初めて触れたのはルーマニア語訳や英語訳、或いはフランス語訳であったという。そこには、当時の政権の影響のもとに出版された書籍、という時代の反映がある。第五章「翻訳の政治学」では、ルーマニア語版『破戒』を取り上げ、そこに認められる政治性を明らかにしている。

他にも参照すべき本書の達成した研究上の多くの価値があるが、読者の中には、それらの有り様はまた、現今の日本近代文学研究の現状を反映したものであると捉える向きもあるだろう。本書の研究上の達成を、研究の国際化が進む現状を強く反映した異言語、異文化間の比較分析の成果であろう、とする見解である。確かに、本書にはそのような視点、切り口が皆無ではない。しかしながら、本書の最も大きな研究上の価値は、そこにはなく、日本近代文学研究や藤村文学そのものに真摯に向き合い、作者やその周囲の人物等の状況、同時代の言説状況、発表媒体とそこに展開されたトータルな意味での言説状況、研究状況を精緻に、そしてそれらを重層的な視点を保持した形で分析している点にある。そのようなことを論の基盤に持つ堅実な研究であるといえよう。

今後のホルカ・イリナ氏の研究の発展とご活躍を期待したいと思う。

第十四回全国大学国語国文学会賞  令和元(2019)年度

高橋 麻織(たかはし まおり)氏(椙山女学園大学専任講師)

『源氏物語の政治学 史実・准拠・歴史物語』
(笠間書院・ 2017年)

令和元年度全国大学国語国文学会学会賞の選考経緯並びに受賞業績の紹介

学会賞選考委員会委員長 吉海 直人

本年度の選考委員会は例年通りに立ち上げられ、例年通りの選考過程を経て、最終的に3月の選考委員会において高橋麻織氏の著書に決定した。その結果を常任委員会に諮り、承認を得た後で委員会に報告し、6月の夏季大会で授賞式が挙行されたことを報告しておく。受賞された高橋さん、おめでとう。

さて、高橋氏の著書は四部構成になっており、前後の序章と終章を合わせて全部で18章の論から成っている。全416頁とかなり大部な研究書である。参考までに目次を掲載しておく。
序章 『源氏物語』準拠論の可能性─物語の政治世界を読み解く─
第Ⅰ部 光源氏の政治─〈家〉の形成と王権─
 第一章 冷泉帝の元服─摂政設置と后妃入内から─
 第二章 光源氏の摂政辞退─物語における摂関職─
 第三章 明石姫君の袴儀─腰結の役をめぐって─
 第四章 冷泉帝主催の七夜の産養
第Ⅱ部 桐壺院の政治─後宮運営と皇位継承─
 第五章 光源氏立太子の可能性─桐壺更衣の女御昇格─
 第六章 藤壺の宮の立后─藤原遵子との比較から─
 第七章 桐壺院の〈院政〉確立─後三条朝の史実から─
 第八章 殿舎「桐壺」に住まう后妃の継承─桐壺更衣から明石女御へ─
第Ⅲ部 大臣家の政治─後宮政策と摂関政治─
 第九章 弘徽殿大后の政治的機能─朱雀朝の「母后」と「妻后」─
 第十章 左大臣家の後宮政策─冷泉朝における立后争い─
 第十一章 匂宮への皇位継承の可能性─夕霧大臣家と明石中宮─
 第十二章 物語作品における中央政治─諸寮の様相─
第Ⅳ部 『源氏物語』から歴史物語へ─〈歴史〉の創造─
 第十三章 『栄花物語』円融朝の立后争い
 第十四章 『大鏡』の歴史認識─「すゑのよの源氏のさかえ」─
 第十五章 歴史物語における「源氏」の位相─創造される「歴史」─
 第十六章 「帝の御妻をも過つたぐひ」─后妃密通という話型─
終章 『源氏物語』と史実・準拠・歴史物語─今後の展望─

タイトルに「政治学」とあるように、本書は恋物語としての源氏物語ではなく、源氏物語の「政治学」をテーマに据え、歴史資料の徹底的な調査・分析を通して、むしろ史実とは異なる源氏物語独自の政治世界の解明に果敢に挑み、そこから物語を読み直そうとしている。そのことは目次を一覧すればすぐにわかる。「可能性」という言葉が目につくが、それこそ高橋論の斬新さであろう。

特に第Ⅳ部の「歴史の〈創造〉」は、準拠論としては特異に思われる見出しである。従来は源氏物語以前の歴史を史実の基本としていたが、本書では源氏物語以後の歴史物語における「創造された歴史」までも論の対象にしていることによる。いわゆる準拠論を表明しながらも、あえて従来の準拠論を問い直そうとしているところに、本書の独自性(史実の再構築)が看取される。

本書は決して既存の研究法を踏襲するのではなく、準拠を作者や読者の方法とすることで、積極的に源氏物語の政治世界の特殊性を暴き出そうとしている。そこにこそ本書の真の狙いがあることが読み取れる。以上のように本書の内容は、学会賞に十分値する若手の研究成果と認められる。今後の高橋さんのさらなる活躍を期待している。

第十三回全国大学国語国文学会賞  平成30(2018)年度

池原 陽斉(いけはら あきよし)氏(京都女子大学専任講師)

『萬葉集訓読の資料と方法』
(笠間書院・ 2016年)

平成三十年度全国大学国語国文学会賞の選考並びに受賞業績の紹介

同賞選考委員会委員長 石原 千秋

受賞作は、池原陽斉(いけはら あきよし・京都女子大学専任講師)『萬葉集訓読の資料と方法』(笠間書院・二〇一六年一二月一二日)である。著作刊行時の応募要件に関しては、常任委員会の議をへて確認した。

なお、受賞書は、いくつかの時代に跨がった論も含まれているため、それぞれの時代の委員にも、その時代の研究の水準を踏まえていることを確認して、広い時代に受け入れられる研究水準の著書であることを踏まえた結論となった。その後、四月四日の常任委員会で承認をえた。

以下に受賞作を紹介し、併せて選考理由を記す。

『萬葉集訓読の資料と方法』の構成等は、次の通りである。
序論 本書の目的と構成
第一部 萬葉集抄本としてみた赤人集
 第一章 萬葉集伝来史上における赤人集の位置
 第二章 西本願寺本赤人集の成立
 第三章 赤人集三系統の先後関係
  補説 赤人集と古今和歌六帖
  附録 萬葉集巻十および赤人集
第二部 萬葉集の訓読と本文校訂
 第一章 赤人集による萬葉集本文校訂の可能性
 第二章 萬葉集本文校訂と古今和歌六帖の本文異同
 第三章 「御名部皇女奉和御歌」本文異同存疑
 第四章 類聚古集と廣瀬本の関係
 第五章 「雪驪朝楽毛」の本文校訂と訓読
第三部 萬葉集訓読の方法
 第一章 「戯嗤僧歌」の訓読と解釈
 第二章 「献新田部皇子歌」訓読試論
 第三章 「籠毛與 美籠母乳」の訓読再考
 第四章 萬葉集の「風流士」
 第五章 「みやび」と「風流」の間隙
結論 本書のまとめと展望
  初出一覧
  あとがき
  索引

目次は以上であるが、三部十三節、序・結論その他で約四百頁からなる大作である。各部の特徴とその主な成果を挙げることとする。

第一部「萬葉集抄本としてみた赤人集」は、従来平安私家集研究の中で論じられてきた『赤人集』を、万葉集伝来史として位置づけ、上代から中古へと橋渡しをしながら、その見直しを図っている。三系統を持つ『赤人集』は、従来巻十の真名本からの抄録と考えられていたが、万葉集漢字本文との検討によって、次点本と重なりつつ、やや系統を異にする平仮名別提訓本であることを明らかにした画期的なものとなっている。

第二部「萬葉集の訓読と本文校訂」では、第一部の研究成果を踏まえ、『赤人集』や『古今和歌六帖』といった仮名万葉の側からの、万葉集本文校訂の可能性を検討している。また逆に、従来行われてきた写本の字形・共通する缼陥本文などのオーソドックスな研究方法によっても万葉集本文校訂が可能である場合があることを示している。

第三部では、第一部・二部での研究態度に基づきながら、ほぼ定訓をみたと考えられている万葉歌について具体的に検討を加えている。「風流」を「みやび」とする訓についての論は詳しい。この訓みは『伊勢物語』を参照した『万葉集童蒙抄』以来であるが、その論拠は乏しい。また『遊仙窟』を根拠にした訓みも、『遊仙窟』訓点の附訓年代の検証から、確証を欠くものであることを示している。

本著は、偶然の一致や例外を排除し、内部徴証・外部徴証などから多角的に検証を加えている。その堅実・真摯な研究態度は、受賞図書全体に及んでおり、若手研究者による研究成果として範となるものと考えられる。論証される内容は上代だけでなく、中古・中世に及び、広く時代分野に跨がる本学会における成果として相応しいものである。かつ各時代の研究水準をしっかりと理解した論となっており、配慮が行き届いた論となっている。

著者は二〇一二年、研究発表「『古今和歌六帖』萬葉歌の再評価」によって全国大学国語国文学会 平成二十四年年度研究発表奨励賞を受賞、「『萬葉集』本文校訂に関する一問題:類聚古集と廣瀬本を中心に」によって、全国大学国語国文学会 平成二十七年度『文学・語学』賞を受賞している。様々な時代・分野に跨がる本学会の中で研鑽に励み、その成果を着実に発表し、評価を得てきた研究者である。その成果の結実書である『萬葉集訓読の資料と方法』は、全国大学国語国文学会賞に値するものと、満場一致で決した。

第十二回全国大学国語国文学会賞  平成29(2017)年度

片 龍雨(ピョン ヨンウ)氏(高麗大学校グローバル日本研究院研究教授)

『四世鶴屋南北研究』
(若草書房、2016年)

選考経緯並びに受賞業績の紹介

同賞選考委員会委員長 山田 直巳

平成二十九年の全国大学国語国文学会賞の応募作は、中古二点、近世一点であった。この経過を少しく記せば、応募状況はあまり芳しくなく、国語国文学関連の出版書肆に推薦を願うといった一幕もあった。時代区分的には、上代・近代からの応募を得る事ができなかったわけで、担当委員としては努力不足で、反省すべきと自戒を深めているところである。さらなる告知・広報につとめ、より多くの方々に当学会賞を知って頂き、優れた業績を選考・顕彰させて頂く機会を持ちたいと願うところである。

選考委員会は、本年一月より選考準備を開始し、応募作の時代ジャンルに応じた担当選考委員による査読、各委員の意見聴取をおこない、それを踏まえ三月三十一日に國學院大學渋谷キャンパスに選考委員、担当常任委員による選考会議をもった。そこでは、校務等で欠席された方を除く四名の選考委員、二名の担当常任委員とで、選考作業を行った。授賞については、まず担当選考委員からの査読報告書の提出・説明を受け、それをもとに様々な角度・立場からのディスカッションがなされた。いくつかの点につき議論の沸騰があり、容易に決め難い雰囲気もあり、また学会賞規定に関する点についても意見があり、熱く議論を戦わせることとなったが、幸い授賞候補者を常任委員会に推薦することができ、四月一日の全国大学国語国文学会常任委員会において承認をえた。

授賞作は、片龍雨(ピョンヨンウ)氏の『四世鶴屋南北研究』(若草書房、2016年3月12日刊行の業績である。なお著作刊行時の応募要件に関しては、常任委員会の議をへて確認した。以下に、受賞作を紹介し、併せて選考理由を記す。

『四世鶴屋南北研究』の構成等は、次の通りである。
序章
 第一章 趣向の個性化
  第一節 滑稽――『館結花行列』の台帳における添削――
  第二節 反復される趣向――幽霊と毒薬――
  第三節 小道具の利用――犬を中心に――
 第二章 「世界」の利用
  第一節 「世界」と綯い交ぜ
  第二節 曾我の「世界」と鬼王貧家――鬼王と赤沢十内――
  第三節 座組と「世界」――文政八年度中村座の場合――
 第三章 台帳の諸問題
  第一節 台帳のト書きと戯作の地の文――
  第二節 『例服曾我伊達染』の台帳の原姿
 第四章 狂言作者と戯作者の間
  第一節 随筆『吹寄草紙』と『筆のしがらみ』
  第二節 『東海道四谷怪談』と読み物――その周辺作との相違――
  第三節 合巻をめぐる諸問題――姥慰輔・亀東・鶴屋南北――
終章
あとがき
論文初出一覧
索引

目次は以上であるが、四章十一節、序・跋つきで、全二九一頁からなる著作である。

以下、授賞業績について簡略に紹介してみたい。

南北研究は既に層が厚く、歌舞伎作者としての南北研究はいうまでもなく、演劇史、あるいは作品の本文研究にも多くの研究が蓄積されている。そのような状況の中で、新しい切り口をどのようにして見出すかという点が、選考委員会としては最も注目するところであった。

まず第一章では、「台帳」における南北の添削箇所に注目し、添削(付加)によって何が変わったのかを問うことで、そこにこそ初期の南北作品の個性が現れていると説く。『館結花行列』(『春錦伊達染曾我』)ではどう添削され、その結果、「滑稽」という「趣向」がどのように変質したかを語り、そこに「趣向の個性化」が見られると主張する(第一節)。また「滑稽な幽霊」、「毒殺の失敗」という「南北の趣向の持つ性質は、南北の台本を、特定な役者にしなくても、読み物として十分楽しめるものにしていると思われる」(第二節)。さらに犬などの小道具を巧みに配置・動かし使用することで、南北の「趣向」の南北らしさを深めていくことに繋がっていっていると説く(第三節)。

第二章では、南北独自の把握語彙「綯い交ぜ」(複数の「世界」を混合して新しい作品を作る)があるが、南北作品に新しさを加えているのは、まさにこの「綯い交ぜ」という独創的な発想であったという(第一節)。また、南北の作劇法は「世界を女形・立役・実悪・敵役などの役柄で区別し、同じ役柄に属する従来の登場人物を、あえて別の登場人物にずらして劇の新しさを求めた」という(第二節)。さらに「文政八年度中村座」という限定した状況を設定し、そこで「座組み」と「世界」がどう関わるのかという、相関を明らかにしようと試みる(第三節)。

第三章では、「台帳」を徹底分析し、「台帳」を読み物と把握し、ト書きと地の文の関係を分析することで、「ト書きの詳細化が戯作の影響による」のではないかと類推し、両者の地続き性を想定する(第一節)。また南北の「小道具」をヒントにして、『例服曽我伊達染』の乱れた冊順を元の姿に戻すことができた、という(第二節)。

第四章では、南北の「随筆の書き手」としての姿を追究し、如何にして、『吹寄草紙』『筆のしがらみ』が出来上がってきたかを問い、直江重兵衛・孫太郎の関与を忘れてはいけないという(第一節)。ついで、『東海道四谷怪談』が「読み物」との交互関係・影響関係という状況の中で、生成してきたことを説く。「巷談が読み物になり、また読み物が演劇に変化していく過程」を捉えた(第二節)。そして南北が「合巻」を手がけた理由を、当時の出版情勢と南北自身の状況との関わりから推察する(第三節)。

以上、「台帳」原本レベルから南北の作劇法の再検証を行い、近世貸本屋を念頭に「歌舞伎を読む」という観点を設定し、南北研究の新しい地平を開拓した点、全国大学国語国文学会賞に値するとした。

第十一回全国大学国語国文学会賞  平成28(2016)年度

牧義之氏(長野県短期大学助教)

『伏字の文化史 ―検閲・文学・出版―』
(森話社、2014年)

選考理由及び授賞業績の紹介

同賞選考委員会副委員長 秋澤 亙

受賞作は、序章・終章含めてⅢ部十二章、全四四三頁の書。著者の三十代前半という年齢を考えれば、大著に属する労作と言ってよいだろう。参考までに目次を掲げておく(カッコ内は副題)。
序章 伏字に出会う(本書の目的、意義と先行研究について)
Ⅰ 伏字はなぜ施されたのか――内閲という措置
 第一章 伏字の存在意義に関する基礎的考察
 第二章 法外便宜的措置としての内閲①(その始まりから運用まで)
 第三章 法外便宜的措置としての内閲②
    (萩原朔太郎『月に吠える』の内閲と削除)
 第四章 法外便宜的措置としての内閲③(内閲の終焉と昭和期の事例)
 第五章 作家の検閲制度意識(永井荷風を例に)
Ⅱ 伏字が引き起こす問題
 第六章 森田草平『輪廻』の伏字表記(差別用語と作者の戦略)
 第七章 削られた作品の受容と変遷(片岡鉄兵「綾里村快挙録」を中心に)
 第八章 紙面削除が生んだテキスト・ヴァリアント
    (石川達三「生きてゐる兵隊」から)
Ⅲ 検閲制度をめぐる攻防
 第九章 発売頒布禁止処分と「改訂版」
    (昭和五年・禁止本『肉体の悪魔』と『武装せる市街』から)
 第十章 狂演のテーブル(戦前期・脚本検閲官論)
終章 伏字の戦後(占領軍の検閲と文字起こし)

周知のことだが、「伏字」とは出版物を事前にチェックした「当局」が、忌避すべき表現として黒く塗りつぶした箇所などを広く指している。この「当局」が、どういった機関に当たるのかは、場合によって流動的であり、特定の部署を示す用語ではない。時に軍部であり、時に内務省であり、時に別の役所であったりするのだが、いずれにせよ、我が国では第二次世界大戦前後の時代に、そうした公的な機関による検閲が最も顕著に行われた。ただし、本書が標的に選んだのは、そうした時期のうちでも、特に戦前・戦中である。

同じ戦争の前後でも、戦後・占領期の検閲実態については、ある程度解明が進んでおり、資料検索による国境を越えた研究が既に行われている。対して、昭和二十年以前、すなわち戦前・戦中のそれについては、ごく少数の研究成果が報告されているに留まる。検閲事務や内閲の実態はおろか、そのことから派生する様々な問題については、ほとんど言及が見られない。つまり、この時期の検閲の実態は、研究史上の盲点なのであり、本書はその空白を埋める重要な役割を担っている。

ところで、本書は「伏字の文化史」なる題号の下に刊行された。普通に考えれば、「伏字」は忌まるべき規制であって、文化活動を阻害する悪しき抑圧に他なるまい。少なくとも、「伏字」が文化に寄与するものとは思いがたい。なのに、なぜ、本書は「伏字の文化史」などと題されたのか。

先に掲げた「序章」には、本書の課題として、「戦前・戦中期日本の検閲体制下における『伏字』の、文化記号としての意義と役割、そして文学作品への影響に関する実証的考察」が謳われている。「『伏字』の文化記号としての意義」とは聞き慣れない物言いであろう。だが、これが「伏字の文化史」という本書の題号と響きあう表現であることにも、我々はすぐに気づくに相違ない。伏字などというものは、存在しないに越したことはない。だが、不幸にも、この理不尽な邪魔物が出現してしまった際に、思わぬ現象が起こるのである。塗りつぶされた奥に何が書いてあったのかという、読者の興味を掻き立てる。つまり、伏せられた文字数を手折り、何とかその空白を埋めようとして、読者が様々に考えを巡らす。著者が「文化記号としての意義」と指摘するのは、伏字の、実にそうした一面であった。伏字によって文学作品はゆがめられるが、人々の読書行為は害せない。伏字という抑圧は、人の心を委縮させるどころか、逆に文学的な想像力を逞しく煽り立ててくれたのである。

片や、作家の側においても、似たようなことが発生する。作家は眼前に立ちはだかる検閲を掻い潜ろうとして、それなりに構えた姿勢を取る。伏字は執筆に一定のバイアスをかけてくるが、それに負けじと作家が知恵を絞った挙句、読者を満足させつつも、検閲の規制には抵触しない懐の深い表現が生まれる契機ともなるのである。検閲と文学との間には、抜き差しならぬ関係が常に横たわっている。「伏字」には、編集子や読者をも巻き込んだテクストにまつわる重要な問題が潜んでおり、本書はそのことに対しても深い示唆を与えてくれている。

本書の章のうちの二編(第三章、第六章)は、当学会の機関誌「文学・語学」に掲載されたものである。また、そのうちの一編は、成稿以前の口頭発表の段階で、当学会三賞の一角である「研究発表奨励賞」を受けている。本書が生まれるにあたり、当学会の活動が一定以上の役割を果たしたことは自明であり、まことに喜ばしいことであろう。当学会が顕彰するにふさわしい作品である所以とも言えそうである。

第十回全国大学国語国文学会賞  平成27(2015)年度

大津直子氏(國學院大學助教)

『源氏物語の淵源』
(おうふう、2013年)

選考経緯並びに受賞業績の紹介

同賞選考委員会委員長 秋澤 亙

当選考委員会は、昨年末の12月頃より準備を開始し、担当すべき委員たちに査読を依頼して、次いで各委員の意見を取りまとめました。そして、本年3月29日に出席可能な委員、及び委員長が集まって、審議をおこなった結果、全会一致で候補作が絞られ、4月4日の常任委員会における承認を得て、授賞の運びとなりました。授賞作となったのは、大津直子(おおつなおこ)氏の『源氏物語の淵源』(おうふう、2013年2月25日刊)です。

以下、授賞作を紹介し、あわせて選考理由を記したいと思います。

本書の構成は次の通りです。

第一編 人物造型の淵源
 第一章 〈観魚〉をする冷泉帝
 第二章 〈卑下〉をする明石の君
 第三章 光源氏の〈愛敬〉
 第四章 浮舟の〈愛敬〉
第二編 空間表現の淵源
 第一章 空間表現としての〈暑さ〉
 第二章 紀伊守邸の〈泉〉
 第三章 須磨の地の〈黒駒〉
 第四章 六条院の〈釣殿〉
第三編 表現史の淵源
 第一章 異界に誘われる〈帯しどけなき〉光源氏
 第二章 藤壺の魂を招く〈帯しどけなき〉女童
 第三章 中の君を象る〈しるしの帯〉
第四章 『源氏物語』から谷崎源氏へ―〈薄二藍なる帯〉はなぜ削除されたか

物語に登場する事物や出来事に潜在する古代性は、人々の心の奥底に一定の観念を抱かしめ、それが物語作者の意識をも超えた作品展開を生じさせることがしばしばあります。例えば、作品に「継子」の娘が登場するとします。すると、作者は無意識のうちに、それを善良な娘として描くでしょう。決して悪い娘としては描きません。そして、必ず相方に意地悪な継母を対峙させます。継子が善良でなかったり、継母が意地悪でなかったりする設定は、作者も考えないし、同時に読者の方も納得しません。つまり、それは許されない設定なのです。作者と読者の双方が、「継子」「継母」に対する堅牢な固定観念に縛られており、無意識のうちに、そこから抜け出すことができない。古代の物語の根底には、そのような潜在力が常に立ち働き、それが作品形成上の一種の規制力となっています。古代観念の呪縛抜きに昔の物語は成り立たない。その鉄則は平安当時にあって極めて先進的だったはずの『源氏物語』にしても同様でした。授賞作の題名の「淵源」とは、そのように物語を文脈の裏側から縛り上げ、作者の創意とは別次元で作品展開を突き動かしてゆく観念世界の力学を指しています。

もっとも、今は説明がしやすかったので、継子譚の事例を挙げましたが、大津氏の書が関心を抱いているのは、必ずしもそうした話型の論理ではありませんでした。第一編では、光源氏の〈観魚〉や明石の君の〈卑下〉という人物の動作、及び光源氏や浮舟の〈愛敬〉という人間の表情の奥底に潜む観念、第二編では〈暑さ〉という温度、〈泉〉〈釣殿〉という家屋の景象、〈黒駒〉という動物など、様々な生活世界における事象や事物に内在する古代的な認識、第三編では、様々な作中人物における〈帯〉に窺える諸相といった、旧来の民俗学派の研究者に振り向かれなかった多岐にわたる新しい素材を意欲的に取り上げています。

すなわち、大津氏は『源氏物語』に潜在する未知の古代観念を丹念に探り出したことになります。しかし、その限りであれば、単に物語を縛る観念を見つけただけで、作品を論じたことにはなりません。大津氏の場合は、それらをさらに読解に還元し、幾多の新しい読みを示すことに成功しています。それらのしごとによって、『源氏物語』の作品分析が従来よりも一層深まったことは間違いなく、その点は平安文学研究の世界においても、既に不動の評価が与えられています。一例を挙げれば、本書の第一編第一章「『源氏物語』六条院行幸における冷泉帝―〈観魚〉という視点から―」は、この書にまとめられる以前の段階で、論文として第5回中古文学会賞を受けており、その点などは、今申しあげた学界的な評価の端的な証と言ってよいでしょう。

この書全体は、全3編12章326頁で構成されていますが、その方法論は既述のようなスタイルでほぼ一貫されていて揺れが見られず、各編各章の論展開にも破綻がなくて、一定の水準が保たれています。もとより、この学会賞は若手の研究者の顕彰や督励を目途に設立されたものです。大津氏がそうした若手の一人であることは紛れもない事実ですが、彼女の場合はその中でも最も若いうちの一人に入り、むしろこれからの研究者であると言ってもよいでしょう。ですが、その若い年齢を思わせない老練な完成度が、この書には認められます。学術書として要求されるべき体系性が強く見出され、さらに巻末を飾る「『源氏物語』から谷崎源氏へ」は、今後の研究の幅の広がりを予感させて、閉めの論として心憎い演出にさえなっています。大津氏のそのような「たゆまぬ挑戦」も、選考委員会において、高く評価される理由の一つとなりました。

その意味で、本書は著者の持てる力量を過不足なく示した渾身の一作であると考えられ、全国大学国語国文学会の学会賞としてふさわしい著作であると評価できます。以上、選考委員会委員長として、選考理由を申し述べました。なお、今回の選考とは特に関係はありませんが、大津氏の当該書は第9回第二次関根賞にも輝いており、いわゆるW受賞を果たしたことになります。ご本人の名誉にも当たりますので、付言しておきます。

第九回全国大学国語国文学会賞  平成26(2014)年度

田中圭子氏(広島女学院大学大学総合研究所客員研究員)

『薫集類抄の研究 附・薫物資料集成』
(三弥井書店、2012年)

選考経緯並びに受賞業績の紹介

同賞選考委員会委員長 原 國人

本年度の全国大学国語国文学会賞の応募作は、時代別でいえば、中古2点 中世1点 近世1点 近現代1点の計5点であった。上代からの応募はなかったが、昨年より1点の増加であり、ジャンルは多岐にわたっていた。本学会の賞の趣旨が若手研究者の間に徐々に知られてきている証であり、今後、さらに本賞が斯界において一層の役割をはたすべく、告知・広報に努めなければならないという思いを強くした。

選考委員会は、本年1月より、選考準備を開始し、応募作の時代を担当委員による査読、各委員の意見の聴取を行い、3月20日に國學院大學渋谷キャンパスに校務等で欠席した委員を除き、4人の選考委員と担当常任委員二名が会して、選考作業をおこなった。授賞については、各委員から甲論乙駁、本賞の基本的な性格、役割等についての意見もあったが、幸いにも、授賞候補者を常任委員会に推薦することができ、3月29日の常任委員会に於いて承認を得た。

選考考員会が、授賞候補者として選んだのは、
  田中圭子(たなか けいこ)
  広島女学院大学総合研究所客員研究員
  『薫集類抄の研究 附・薫物資料集成』
  (三弥井書店、2012年12月13日)
の業績である。なお、著作刊行時の応募要件である年齢については応募要件をみたしていることを確認した。以下に、授賞作を紹介し、併せて選考理由を記しておく。

薫集類抄の研究 附・薫物資料集成』の構成等は次の通りである。
 校注薫集類抄
  解題
  序
  凡例
  上  諸方/梅花/荷葉/侍従/菊花/落葉/黒方・坎方・薫衣香/増損化度寺・衣香/百歩香/百和香/唐の薫物
  下  (次第)/和合時節~埋日数/諸香
   裏書勘物
  異同
  書中と同文・類文
 校注薫集類抄 人名家名等解説
 附・薫物資料集成
  名古屋市蓬左文庫所蔵「香之書」
  名古屋市蓬左文庫所蔵「焼物調合法」
  武田科学振興財団杏雨書屋所蔵「香秘書」
  宮内庁書陵部所蔵『薫物方』
  専修大学図書館菊亭文庫所蔵『薫物故書』
  薫物方載録状況対照表
 引用書目等索引
 注釈対象語句索引

以上の内容を持つ本書は、全編484頁(内「序・跋」6/論考部分103/資料部分351/その他24)からなっている。

『薫集類抄』は平安時代に考案された薫物の処方・調合の説を類纂し、その実態を伝える現存最古の薫物の指南書であり、『源氏物語』をはじめとする王朝文化の解明する有用な資料であって、以前からも薫物の故実を伝えるものとして利用されてきた。しかし、これまで『薫集類抄』自体を対象とする研究はほとんど行われてこなかった。『薫集類抄』の解題と翻刻・注釈、ならびに中世の薫物書5点の翻刻を収める本書が、まず、『薫集類抄』の諸本の研究と依拠資料の考証を丁寧に行い、長寛3(1165)書写跋文をもつ国会図書館蔵本を善本とし、その翻刻と注釈を提供したことは、群書類従本に従うことの多かったこれまでの研究を大きく前進させるものとして評価できるであろう。

次いで、『薫集類抄』の校注・人名家名等解説においては、各薫物の考証を進めるほか、和歌や物語文学との関連も丁寧に指摘し、源公忠や藤原公任などの歴史上の人物の合香活動、薫物の種類、調合の方法、合香家などが闡明され、その歴史的な全体像を明らかにする傍ら各作品の注釈史における薫物の扱いについての問題点も示している等、本書が、多くの古典の作品の読解に新見を導き出す可能性は高いと言える。

さらに、本書が、薫物に関する五つの書籍をとりあげ、薫物研究に関する史的展望を可能にすると同時に、『薫集類抄』が保つ情報の相対的な重要さを確認し、文化としての薫物研究の基盤整備を果たしたことは高く評価できる。

また、著者自身が意識したことではないが、日本語誌の研究においても貴重な資料提供を果たす結果ともなっている。その上、本書の注釈が、本邦における薫物に留まらず、大陸中国における取り扱いについても視野に入れていることは本書の価値をいっそう豊かにするものである。国語国文学の精華が文化そのものであるとするならば、文学研究がさまざまな方法論を取り入れ、さらには歴史的経緯への知的財産を援用しなければならないことは言うまでもあるまい。

確かに、本応募作を授賞作とするについては、いくつかの問題点がなかったわけではない。第一に注釈、翻刻が中心であって、論の部分が少ないという点。第二に、分野が国語・国文学の範囲を逸脱しており、「有職故実」あるいは文化に関わる研究であって、本学会の授賞作として逸脱するのではないかという点。さらに、『薫集類抄』の成立にかかわるとする藤原範兼自身歌人であり、そうした点からのアプローチが今少し必要ではないのかという指摘もあった。これらの諸点に関しては、他の応募作をも含めて、選考委員会としてかなり問題となった。そこで、本年の全国大学国語国文学会賞は該当なしという判断もあり得るのではないかという議論を含めた選考委員会の真摯な議論は、本学会賞に対して期待されていること、具体的には、時代別・分野別の学会が多くの賞を出す中で、時代やさまざまな領域を越えて、国語・国文学から国語教育さらには言語文化にかかわる研究者が会員として集う本学会が授与する本賞の果たすべき役割は何かという原点に立ちかえって、改めて本賞の本旨に鑑みた時、田中圭子氏の研究は、全国大学国語国文学会賞を受賞するのにふさわしい業績であるとしてこの決定をみたのである。

第八回全国大学国語国文学会賞  平成25(2013)年度

野網摩利子氏(国文学研究資料館)

『夏目漱石の時間の創出』
(東京大学出版会、2012年)

選考経緯並びに受賞業績の紹介

全国大学国語国文学会賞選考委員会

本年度、全国大学国語国文学会賞の応募作は、4作であった。昨年よりは1作少なかったが、今まで応募がなかった近現代の応募作があったことは、本賞の今後にとって、よい兆と考えられよう。応募作は、中世1点、近現代3点であった。少しずつではあるが、応募は増加しており、本賞が広く周知され、今後、斯学の若手研究者に徐々に浸透してゆくことを期待したい。ために、さらなる告知・広報活動を行いたい、と考えている。

選考委員会は、本年2月より選考準備を開始し、3月28日に國學院大學渋谷キャンパスにおいて、5名の選考委員と担当常任委員1名が一堂に会して、受賞候補作の選考会を行った。応募作はいずれも、受賞に相応しい水準にあって、その差は僅差であったが、幸いにも選考委員会は全員一致を以って、受賞候補対象者の選考を行なうことができた。

選考委員会が、受賞候補者として選んだのは、
  野網 摩利子(のあみ・まりこ)
  生年月日 1971年8月10日
  著作刊行時の満年齢 40歳
  国文学研究資料館
  『夏目漱石の時間の創出』(東京大学出版会、2012年3月22日)
の業績に対してである。以下、受賞作を紹介し、併せて選考理由を記したい。

受賞作の構成は、以下の通りである。
序章 文学の創出を求めて
第一部 書ならびに画に記憶をもたせる
 第一章 時間の産出――『それから』の論理
 第二章 棄却した問題の回帰――『それから』と北欧神話
 第三章 『道草』という文字の再認――生の過程をつなぎなおすために
 第四章 新しい文字を書くまで――『道草』の胎動・誕生
第二部 思想の記憶
 第五章 古い声からの呼びかけ――『門』に集まる古典
 第六章 禅・口承文芸からの刺激――『門』に潜む文字と声
 第七章 再帰する浄土教――『彼岸過迄』の思想解析
 第八章 記憶へ届ける言葉――『彼岸過迄』の生成
 第九章 浄土真宗と日蓮宗とのあいだの『心』の振幅
 第十章 記憶と書く行為――『心』のコントラスト
結章 時間のダイナミズム

以上の二部十章および序章・結章から成る本書には、さらに巻末に「附載」として本書に関係する経典の引用、ウィリアム・ジェームズについての補足、北欧神話「ヴォルスンガ・サガ」の紹介等があり、他に参考文献と人名索引が付される。

本書の中心は、今日の研究状況のなかで改めて注目を浴びている『文学論』に記述されているような漱石の文学理論が、彼の小説表現と密接な関係にあることを、その代表的な長編小説の詳細な分析を通じて明らかにしたところにある。文学理論と作品分析を結びつけることは、ともすれば、安易な背景論になるが、本書は、その轍を踏まぬように、充分な検討がなされている。膨大な蓄積のある漱石研究のなかにあって、現在、注目されている分野に、独自に取り組んだところは高く評価されてよいと思われる。その際漱石のテクスト自体への詳細な目配りは当然として、漱石が用いている小説内の言葉が、どのような「声」と「文字」の「記憶」を背景にしてそこにあらわれることになったのかについて、その由来に遡って分析を加え、漱石の小説テクストが読者にもたらす独特の臨場感の理由を、理論的にも表現の構造としても明らかにすることに成功している。筆者の問題意識は、それを作品の内と外の時間の創出という観点で論じたところにあると思われる。ここで言及される潜在的な「記憶」の根源の領域は、五世紀から二十世紀にわたる仏教関係の諸思想や芸能についての文献、十九世紀から二十世紀にかけての欧米の哲学・心理学などの思想など、漱石が触れたと見られる広範な分野に及んでいる。そういった漱石作品における漱石的知性のありようが、一つ一つの事例を通して明らかになっているといえるだろう。

これまでになかった視点から意欲的な考察を試みているため、論によっては、着眼点の斬新さにやや引きずられすぎている部分もあるのではないかとの指摘もあったし、各章の水準のズレも選考委員会では問題となった。しかし、それぞれの作品に複数の章を当てて粘り強く取り組む姿勢は、選考の議論を通じて、それを補う説得力を持つとの合意を得られた。対象の選択と精緻な読解、論の展開に当っての論理性と視野の広さなど、選考委員の一致した支持を受けた本書は、日本近代文学研究に関する最新の成果として、受賞に最も相応しいものと考えられる。

第七回全国大学国語国文学会賞  平成24(2012)年度

畑恵里子氏(愛知淑徳大学任期制常勤講師)

『王朝継子物語と力―落窪物語からの視座―』
(新典社、二〇一〇年十月二十八日)

選考経緯並びに受賞業績の紹介

全国大学国語国文学会賞選考委員会委員長 上野誠

本年度、全国大学国語国文学会賞の応募作は、5作となり、本学会賞制定以来の最多数となった。また、応募作も、上代1点、中古3点、近世1点と広がりを見せ、本賞が広く周知され、斯学の若手研究者に徐々に浸透していることを表している。

選考委員会は、本年2月より選考準備を開始し、3月29日に早稲田大学戸山キャンパスにおいて、6名の選考委員と常任委員一名が一堂に会して、受賞候補作の選考会を行った。応募作はいずれも、受賞に相応しい水準にあって、その差は僅差であったが、幸いにも選考委員は全員一致を以って、受賞候補対象者の選考を行なうことができた。

選考委員が、受賞候補者として選んだのは、
  畑 恵里子(はた・えりこ)
  生年月日 1974年3月29日
  著作刊行時の満年齢 36歳
  愛知淑徳大学(任期制常勤講師)
  『王朝継子物語と力―落窪物語からの視座―』(新典社、2010年10月28日)
の業績に対してである。以下、受賞作を紹介し、併せて選考理由を記したい。

受賞作の構成は、以下の通りである。
 序論
第Ⅰ部 継子の〈力〉
 第一章 聖性「さとし」をはらむ王朝物語の子どもたち
 第二章 落窪の女君の縫製行為
 第三章 継子による家の獲得
 第四章 縫いこめられた〈力〉
 第五章 加護に匹敵する継子の〈力〉
第Ⅱ部 継子の試練
 第六章 臭気と通過儀礼
 第七章 通過儀礼における性的危機
 第八章 蔑称という報復
第Ⅲ部 『落窪物語』から『源氏物語』へ
 第九章 継子物語と紫の上
 第一〇章 明石の姫君と変奏された継子物語
 第一一章 「蓬生」巻の末摘花と『落窪物語』
 結論

以上のⅢ部一一章から成る本書には、さらに巻末に「『落窪物語』研究文献目録」「索引」等も付される。本書の中心は、これまで現実主義的で他の継子物語に見える霊験の要素がない、と捉えられてきた『落窪物語』について、とりわけ落窪の女君の「縫製」の「力」・「聖性」に注目することで、霊験や加護に代わって女君を幸福に導く構造を新たに詳細に検証することに置かれる。継子の通過儀礼を経ての成功が、聖性につながる継子自身の縫製能力と結びつく、という視座は、『落窪物語』考究を新たに拓くものであるばかりでなく、『源氏物語』の紫の上や末摘花の継子としての側面を剔抉し、また『うつほ物語』の子どもの聖性を照射することとも連関する。その意味で本書は、独自の視点から常に『落窪物語』に軸を据えつつ、王朝の継子物語全体に向かって開かれた考究となっている。

今回粒ぞろいの候補作の中には、より広い視野からの研究成果もあり、さまざまな議論が重ねられた上で、最終的に本書が高い評価を得たのは、以下の理由である。きわめて周到に研究史を踏まえる姿勢を持ち、丁寧なテキストの読みに支えられた粘り強い検証が十分な説得力を備えること、また各論の展開が完成度の高いものとなっていることなどである。一貫して『落窪物語』、継子の在り方に目を向け続け、とりわけ本格的な『落窪物語』研究に確実に新たな展望を開いた本書は、受賞に最も相応しいものと考えられる。

第六回全国大学国語国文学会賞  平成23(2011)年度

矢内一磨氏(堺市博物館学芸課研究員)

『一休派の結衆と史的展開の研究』
(思文閣出版刊、2010年)

第六回 全国大学国語国文学会賞選考経過及び選考理由

選考委員長 三角 洋一

第六回の全国大学国語国文学会賞の選考と授賞について、ご報告いたします。選考委員会は平成23年3月29日、東京大学教養学部14館706会議室において開催され、慎重に審議した結果、
 矢内一磨『一休派の結衆と史的展開の研究』
 (思文閣出版、平成22年6月刊)
を授賞候補に推薦することに決まりました。4月2日、事務局の置かれている國學院大學における常任委員会でこれが承認され、6月4日、東洋大学を会場とする夏季大会の折の委員会に報告、5日に授賞式を行いました。

以下、選考の経過と選考理由について、やや詳しくご説明いたします。

今回、本賞への応募件数は2件で、中古が1件、中世が1件でした。

選考委員は上代の松本直樹(早稲田大学、新規)、中古の室城秀之(白百合女子大学、継続)、中世の今村みゑ子(東京工芸大学、新規)、近世の鈴木健一(学習院大学、新規)、近代の金子幸代(富山大学、継続)、国語の原國人(中京大学、継続)の6名で、これに学会賞担当の常任委員として上野誠(奈良大学)と三角(東京大学)が加わりました。

選考委員会は、本来なら昨年11月末日まで応募を待ってからスタートすべきところ、もし必要なら追加措置することで対応できると判断して、前年度の経験を生かして11月から査読にはいり、同時代が専門の選考委員による判断を本年1月中旬までに求め、引き続き全委員により読み比べる査読を3月上旬までに終える段取りで行いました。選考委員会の出席者は五名でしたが、欠席者には書面で意見を提出していただき、審査には大いに反映されたことを申し添えておきます。

受賞者の矢内一磨(やない・かずま)氏は1964年8月生まれ、著書刊行時点で45歳、文化史学を専攻し、堺市教育委員会文化財保護係を経て、現在、堺市博物館学芸課研究員とあります。

矢内氏の著書の内容と構成は次のとおりです。
第一部 評議と祖師忌法会にみる一休派の結衆とその展開
 第一章 一休派における評議体制の成立と展開
 第二章 祖師十三回忌、三十三回忌大法会と一休派の結衆形態
 第三章 祖師百回忌大法会と一休派の結衆形態
 第四章 近世の祖師忌大法会と一休派の結衆形態
 第五章 近世における酬恩庵慈楊塔の祖師忌法会と一休派の結衆形態
 付論 五山禅林の詩会と禅僧の結衆――堺海会寺蔵乾峯士曇自筆序『牡丹花詩集』
第二部 一休派における僧俗の結衆とその史的展開
 第一章 文明年間の大徳寺復興と一休派
 第二章 在俗信仰者の教団結衆
 第三章 尼・女性信者の結衆
 第四章 泉南仏国論
 付論 文明年間の大徳寺と堺町衆に関する新史料について――酬恩庵蔵「堺南北庄大徳寺奉加引付」の紹介

本書は、一休による教団形成と、一休没後から江戸期を通じて存続した結衆の実態とその史的展開を明らかにしたもので、従来の研究が一休の生涯や人物、思想史的な面の追究に留まっているのに比べて、新たな視点から大きな成果をもたらしました。

これまで、一休が弟子に印可と法嗣を否定したことは注目されても、その結衆を視野に入れた研究はなかったようです。しかし、一休没後、弟子たちが一休の遺命を汲み、評議制による一休派を形成していった過程を通じて、一休の指導力と師弟の宗教的絆が明らかになり、さらには祖師忌法会に見られるように、一休を敬仰する結衆の存続によっても、新たな人物像が浮かび上がります。文学研究の方面に向けても、五山禅林の『牡丹花詩集』の翻刻・紹介を通じて、漢詩が修学の要であるとともに禅僧間の交流に果たした役割を指摘し、連歌師宗長の一休への尊崇と勧進聖的側面を明らかにするなど、貴重な情報を提供しています。

手法的にも、歴史・文学・思想等の分野における先行研究を踏まえたうえで、『真珠庵文書』『酬恩庵文書』や新出史料など、膨大な第一級の史料を駆使して論を展開しており、適宜、表や一覧を作成して理解に備えるなど、研究基盤の着実さと論証の手堅さが光っていることは衆目の一致するところです。

全体的には歴史学的なアプローチであるため、本賞選考の対象としてふさわしいかどうかという議論もありました。しかし、逆に、国文学研究という既成の枠組みにとらわれたままでいいのか、学際的な知見を得て研究交流をはかることこそ最重要課題で、一休論や一休作品論を再考する契機ともなるはずだ、という意見が大勢を占めました。今回の判断は、たとえば古くは文学者の年譜考証、近年の寺院の聖教類悉皆調査の動向などをも念頭に置いた、文学研究をかなり緩くとらえる立場からのものでした。

その点補足しますと、たとえば『狂雲集』に「泉堺衆絶交」とありますが、現実には堺には一休派が結衆し、豪商のみならず町衆もまた協力して大徳寺復興の資金を提供しており、宗教都市堺が一休に及ぼした影響ということも新たな問題提起となります。また、『自戒集』における批判的な表現にもとづいて女性の教団結衆を捉えてしまいがちですが、富と教養を備えた自立的な女性の在俗信者の存在を想定できるなど、本書により一休を取り巻いていた宗教的、社会的環境が逆照射されました。さらには、一休派の結衆の存続という視点を導入して、一休像の形成や拡がりをメディア論という新たな視座で分析しているとも読めるという好意的な評価もありました。以上が選考の理由です。

なおこの機会に、「全国大学国語国文学会賞応募要項」の見なおしをはかり、応募書に添える刊行物を「一部」に変更することが、常任委員会で承認されました。自薦・他薦を問いませんので、ふるってご応募ください。

第五回全国大学国語国文学会賞  平成22(2010)年度

星山健氏(宮城学院女子大学教授)

『王朝物語史論-引用の『源氏物語』-』
(笠間書院刊、2008年)

第五回全国大学国語国文学会賞選考経過および選考理由

選考委員長 三角 洋一

第五回全国大学国語国文学会賞の選考経過は以下の通りである。応募件数は、最終的には5件であったが、うち1件は昨年11月の刊行であったため、次年度の候補作に回すこととなった。4件の内訳は、中古文学3件、近代文学1件であった。

選考委員は、上野誠(奈良大学・継続)、室城秀之(白百合女子大学・新規)、田渕句美子(早稲田大学・継続)、佐伯孝弘(清泉女子大学・継続)、金子幸代(富山大学・新規)、原国人(中京大学・国語)の6氏に、常任委員の上野誠(重複)、三角洋一が加わり、三角が委員長をつとめた。

選考委員会の発足は本来昨年10月からであるべきところ、新規の委員について常任委員会による承認を得るのに不手際があって、正式には12月から選考に入った。その時点では、候補作は中古2件、近代1件で、あらかじめ候補作一覧と推薦書を全委員に送付し、研究室ないし大学で閲覧できるようにお願いするとともに、その時代を専門とする室城、金子両委員と、中古に詳しい原委員には査読を依頼し、コメントをいただくことにした。

本年1月未には、候補作3件のそれぞれ一章分ほどのコピーと査読結果のコメントを全委員に送付し、必要があれば意見書を提出していただくことにした。2月中旬になってから、新たに自薦による中古の応募作1件があったため、時間的な制約もあって、委員長の三角が査読結果のコメントを付し、一章分ほどのコピーとともに全委員に送付した。

選考委員会は年度末の3月29日(月)に東京大学教養学部14号館研究棟で開かれた。やむを得ず欠席された3委員からは事前に書面にて意見をいただいた。慎重に審議した結果、選考委員会としては、
 星山健氏『王朝物語史論-引用の『源氏物語』-』
 (笠間書院、平成二〇年一二月二五日刊)
を授賞作に推薦することが決定された。星山氏は昭和40(1965)年生まれで選考の対象となった一昨年の時点で43歳、現職は宮城学院女子大学教授である。『王朝物語史論』の内容と構成の概要は次の通りである。
第Ⅰ部 『源氏物語』の達成-人物造型と物語引用
 第一編 光源氏像の形成-超越的主人公たらしめるもの(三章からなる)
 第二編 主人公を取り巻く者達の政治性-内大臣と宇治中君(三章)
 第三編 脇役的人物の造型-局面性と一貫性、あるいは歴史引用と物語引用
 (二章)
 第四編 『源氏物語』における『源氏物語』引用(二章)
第Ⅱ部 物語の行方-『源氏物語』引用の諸相
 第一編 『源氏物語』超克の試み-後期物語論(二章)
 第二編 『源氏物語』的恋愛観からの離反-『今とりかへばや』論(四章)
 附 批評する物語、『無名草子』(二章。総計十八章)

星山氏の著書は副題に「引用の『源氏物語』」とあるように、「引用」という概念を中心に据えて、『源氏物語』以前の物語から『源氏物語』へ、さらに、『源氏物語』から平安後期・末期物語へと展開してゆく王朝物語史を、物語の詞・表現に即しながら構築してゆく広く大きな視野に立ったものとなっている。論証の過程では、先行論文の問題点を指摘しながら、鋭い批判の目を向けて分析したうえで妥当な結論をみちびくという、オーソドックスだが学問的な良心を感じさせる著作である。

具体的に挙げれば、第Ⅰ部第二編の第一章「「藤裏葉」巻論-「人にはことなる」内大臣の対光源氏意識の変化に着目して」は、「文学・語学」第190号(平成20年3月)に掲載された論文をもとにしているが、これは第二章「「若菜上」巻以降における太政大臣-皇女降嫁への執着と柏木の死、そして政治の物語の終焉」と密接な連関があって、『源氏物語』の三部構成説における第一部の最終巻である「藤裏葉」巻に描かれる、光源氏の息子夕霧と頭中将の娘雲居雁の結婚を、光源氏と頭中将の長年の確執の解消を語るものとする従来の通説に対して異を唱えたもので、星山氏はそこまでは言っていないが、三部構成説そのものに対する異議申し立てにもなっていると思われる。

王朝物語を縦断する論として、第Ⅱ部第四章「王朝物語史上における『今とりかへばや』「心強き」 女君の系譜、そして、(女の物語)の終蔦」(初出は「国語と国文学」平成一八年四月)は、『竹取物語』『宇津保物語』『源氏物語』『夜の寝覚』を通して見られる「心強き」女君たちの系譜を、用例を丹念に分析しながら、「心強し」の語が、「王朝物語における女の生きがたさの歴史とともに存在するのである」と結論づけている。そして、そのような〈女の物語〉としての王朝物語のあり方に幕を下ろしたのが『今とりかへばや』で、それが古本とは異なる今本独自の要素として分析することで、『今とりかへばや』が王朝物語史の転換点に位置する作品であることを明らかにしている。

選考委員会においては多くの委員が、星山氏の著作を明解で説得力をもつものとして推奨した。「史論」といいながら、「引用」という問題に限られていて、明確な「史観」が感じられないという厳しい意見もあったが、星山氏の態度と方向にはさらなる発展が見込まれ、大きく王朝物語史を書き換える可能性を秘めているという好意的な評価もあって、最終的には今後への期待も込めて、本学会賞にふさわしい著作であるとの判断に達した。

選考経過および選考理由は以上の通りであるが、選考過程で問題となった点について付言しておきたい。第一点は、学会賞の存在を広く知らしめ、自薦・他薦の応募作がもっと増えるように努力する必要があるということで、選考委員が率先して応募対象となりそうな著書・論文に注意を向け、場合によってはなにがしかの働きかけをも心がけることが話し合われたが、また事務局、常任委員、委員をはじめとして、ちょっとした機会にPRしていただくことを要望したい。第二点は、今回、審査対象の範囲内にある著作が審査期間のほとんど最終段階で応募してきたことが問題となり、応募についても締切り日をもうける必要があると痛感したことである。募集の記事に、「随時受付けていますが、締切りは当該年の11月末日とします」を追加することを、常任委員会にお諮りしたい。

第四回全国大学国語国文学会賞  平成21(2009)年度

永田英理氏(明星大学・武蔵野大学・白百合女子大学非常勤講師)

『蕉風俳論の付合文芸史的研究』
(ぺりかん社刊、2007年)

第四回全国大学国語国文学会賞選考経過および選考理由

選考委員長 神野藤昭夫

第四回全国大学国語国文学会賞にあたっては、同賞選考委員会を、平成21年3月28日に、跡見学園女子大学文京キャンパス一号館において開催し、永田英理氏の業績を授賞候補とすることで一致をみた。ついで、全国大学国語国文学会賞規程第七条六項により、4月11日に、國學院大学において開催された全国大学国語国文学会常任委員会において承認を求め、その結果を6月6日に明治大学リバティータワーを会場として開催された夏季大会における委員会において報告、7日に授賞式を行ったところである。

以下、経過のあらましを補足する。

昨年夏季大会以降、本賞への応募件数は、2件。うち、1件は、昨2008年10月の刊行であった。規程第四条に「当年度九月までに公表された」ものと規定されており、今回の候補作としては選考対象から除外し、次年度(第五回)の選考候補作となることを確認したうえで、実質、1件について選考を行った。

選考委員は、文学・語学の時代順に述べると、上野誠(奈良大学・新規)、原岡文子(聖心女子大学・継続)、田渕句美子(早稲田大学・新規)、佐伯孝弘(清泉女子大学・新規)、小泉浩一郎(東海大学・継続)、糸井通浩(京都光華女子大学・継続)の6氏に、委員長として、規程により総務担当の常任委員神野藤昭夫(跡見学園女子大学・継続)が加わった。

折からの繁忙期のため、常任委員会の開催が4月に延びざるをえなかったように、選考委員会も当日の出席は3名にとどまったが、他の選考委員には、事前に書面による詳細な意見ならびに委任状を提出いただき、慎重かつ厳正に選考を行ったところである。

選考委員会が候補著作として選考したのは、次の研究業績である。   永田英理『蕉風俳論の付合文芸史的研究』(ぺりかん社 2007年2月28日発行)

永田英理氏は、生年は、昭和52年(1977)。同書の刊行当時は、二十九歳という若さであり、刊行期間についても規程上問題のないことを確認した。応募時点における同氏の肩書は、明星大学・武蔵野大学・白百合女子大学の非常勤講師である。

選考では、はじめに、書面による各委員の意見を紹介し、出席委員各位が見解を述べ、ついで審議に入り、活発な意見交換ののちに、永田氏の著作を授賞候補作とすることに、全委員が一致して賛成したところである。

次に、永田氏の著作の選考理由の骨子を述べる。

永田氏の著作の大要は、次のような構成からなる。
第Ⅰ部 蕉風連句の分析とその方法
 第一章 蕉門の式目・作法観
  第一節 蕉門の式目観――許六と支考――
  第二節 『去来抄』「故実」篇にみる式目・作法観
 第二章 「恋離れの句」考
 第三章 連句一巻総評論
第Ⅱ部 支考の「七名八体」説の付合文芸史的考察
 第一章 座の文芸理論――支考の「七名八体」説の浸透と変質――
 第二章 蕉風連句における「有心付」の検証――「有心付」は「匂付」にあらず――
 第三章 蕉風連句における「起情」の手法をめぐって
 第四章 蕉風俳論における付合用語としての「会釈(あしらひ)」の変遷
 第五章 「色立」という手法
  第一節 「色立」の付合文芸史的考察
  第二節 色彩表現と俳諧――「色立」の手法の転用をめぐって――
 第六章 「拍子」考――句調論から付合論へ――
第Ⅲ部 蕉風発句論への視座――「題」「本意」と「実感」「実情」と――
 第一章 蕉風俳論における「本意」の一考察
 第二章 「題」の俳論史――詞の題、心の題――
 第三章 詩人芭蕉 感性の覚醒―― 発句表現における「触覚」のはたらき――

全331頁に及ぶ永田氏の著作の大筋は、蕉風連句の評価を、俳論という物差しをもって試みるものであるといえる。しかもその俳論については、さらに歌論・連歌論をも視野に収め、広く渉猟、俯瞰したうえで、付合の理論とその手法の史的検証をしようとしたところに大きな特色と価値がある。

いわば、理論と実作との関係に留意することによって、たんなる主観的な鑑賞批評ではなく、付合に関する俳論や作法書を確認しながら実作品を分析するという明確な方法意識をもち、そのうえに立って分析を行っている。

しかもその論は、実証的で手堅い研究方法にもとづく一方、第Ⅲ部の「詩人芭蕉 感性覚醒」の論では、西洋の認知科学における「体性感覚」という理論を用いて、芭蕉の句の視覚と触覚を融合させた感覚の鋭さを確認するなど、方法論における革新的で学際的な意識や柔軟さも持ち合わせている。

いずれの論も、先行論文をきちんと踏まえ、その論の運びも明解にして老練でさえあるといえる。

こうした大局的な見地からの評価のみならず、専門領域の委員からは、新見と認められる点の具体的な指摘が逐一、列挙され、審議の参考に供せられたことをここでは付記するにとどめる。

審議経過においては、和歌・連歌をも包括する視野を広さを評価する一方、詩歌史全般にわたる場合の分析方法についての要望が求められたり、新たな研究視点を評価する一方、現時点ではなお論じ方が十分でないとの意見など、いわば楯の両面について活発な意見が行われた。

結論として、明確な方法意識をもって、実証的でかつ柔軟、明解に問題を論じ、これを広い視野で論じることによって、蕉風研究のみならず、日本の詩歌史における新たな研究側面をきりひらいた業績として、本学会賞にふさわしい著作であるとの判断に達したところである。

選考経過および選考理由は、以上のとおりであるが、選考過程で問題となった点について、委員長の立場から特に付言する。

第一点は、本賞の振興にかかわる点である。永田氏の著作は、選考対象数とはかかわらずきわめて優れた著作であることは委員の一致した見解であるが、もっと積極的な応募を求めたい。またこの点に関し、常任委員会からは「国語国文学の研究の推進のために、特に若手研究者を顕彰することを目的とする」規程条項に鑑み、選考委員は本賞にふさわしい著作の発掘に意を用いることを含みとするよう要請があり、選考委員会もこれを委員任期中の職務とすることで、共通理解を得たところである。

また第二点、本賞の選考経過にあたって浮上した二三の問題点については、六月大会の委員会ならびに総会の議をへて、既に学会賞規程の改正によって是正されたことを付記する。

第三回全国大学国語国文学会賞  平成20(2008)年度

小川靖彦氏(青山学院大学教授)

『萬葉学史の研究』
(おうふう刊、2007年)

第三回全国大学国語国文学会賞選考経過および選考理由

選考委員長 神野藤昭夫

最初に選考経過について述べる。

第三回全国大学国語国文学会賞選考委員会は、平成20年3月29日に、和洋女子大学東館16階会議室を会場として開催した。

今年度の選考委員は、岩下武彦(中央大学)、原岡文子(聖心女子大学)、千艘秋男(東洋大学)、渡辺憲司(立教大学)、糸井通浩(京都光華女子大学)の各教授。選考委員長は、規程により、総務(企画)担当の常任委員である神野藤昭夫がその任にあたった。

選考にあたっては、選考委員には、推薦による候補作の査読をお願いし、欠席の委員からは、意見ならびに委任状を提出いただき、候補者の候補資格について審議ののち、その著作について慎重、厳正、かつ忌憚のない意見交換を行ない、次の方を、第三回全国大学国語国文学会賞の受賞候補者とすることに、委員の総意として意見の一致をみたところである。
 受賞候補者 小川靖彦氏(青山学院大学文学部日本文学科教授)
       1961年12月6日生
 受賞対象作 『萬葉学史の研究』(おうふう 2007年2月24日刊)

選考委員会の選考結果は、ただちに同日に開催された常任委員会において、受賞候補者の承認を得たところであり、その結果は、平成20年6月7日の委員会で報告されることによって、正式決定の運びとなったところである。

なお、選考委員会および常任委員会においては、選考に先立って、候補者としての基礎資格、すなわち規程第三条「本賞の受賞対象者は、本学会会員で、原則として四十五歳までの研究者とする」の条項について協議を行ない、小川靖彦氏が受賞対象作を刊行された時点において四十五歳であることを確認し、条項に適合するとの判断の上にたって、選考審議、承認を行なったことを申し添える。

次に選考理由について述べる。

受賞作は、
 序章 萬葉学史の研究とは何か
 第一部 萬葉集写本史の新しい視点
 第二部 日本語史・日本文学史のなかの萬葉集訓読
 第三部 仙覚の萬葉学――十三世紀における知の変革――
 第四部 仙覚の萬葉学の行方
 終章 萬葉学史の研究の課題
から成り、さらに
 ・平安時代の『萬葉集』写本年表
 ・仙覚略年譜
および索引を付した、634頁に及ぶ著作である。

本書の意図は、『万葉集』の研究の歴史を、現代とは異なる研究のありかたを示すものとして、歴史的に、その背後にある文化や知の構造にまで遡って明らかにすることをめざしたものである。このような意図は、本書を、たんなる『万葉集』研究の歴史をこえて、歌集と政治のありかた、「古代」像の変貌、古典を取り巻く文化的ネットワーク、「思想」としての学問、「書物」というものが具現する聖性と権力など、日本の文学史、思想史、言語史、書物史などにあいわたる研究領域を切り開くことに繋がるものとしている。

すなわち、このような新たな〈知〉の観点に立つことによって、本文の書写形式・本の装丁などの書誌的観点や、本文訓読と仮名書き本文との関連、仮名文字による表現の問題などの国語学的観点、新たな資料の紹介とその位置づけなど、多様な方法、視点から広汎な考察を展開しており、しかも、その一貫した実証的な態度と緻密な論理構成のもとに得られた成果は、いずれも精細で独創性に満ちた内容であると評価できるものである。

このような本書の業績は、万葉集研究ばかりでなく、広く日本文学研究、さらには歴史・思想・古筆などの諸領域に寄与し、新たな研究を刺激するものとして、全国大学国語国文学会賞に、まことにふさわしいものということができる。

以上が、第三回全国大学国語国文学会賞の選考経過ならびに選考理由である。

第二回全国大学国語国文学会賞  平成19(2007)年度

上原作和氏(青山学院女子短期大学非常勤講師)

『光源氏物語 學藝史 右書左琴の思想』
(翰林書房刊、2006年)

第二回全国大学国語国文学会賞選考経過

選考委員長 宮崎莊平

第二回本学会選考委員会は、平成19年3月1日、東京グリーンホテル水道橋「瑪瑙の間」を会場として開催された。出席委員は、委員長 宮崎莊平(本学会常任理事・新潟大学名誉教授)のほか、永井和子(中古・学習院女子大学学長)、千艘秋男(中世・東洋大学教授)、渡辺憲司(近世・立教大学教授)、清田文武(近現代・放送大学客員教授)、飛田良文(国語・国立国語研究所名誉所員)の方々、公務欠席、岩下武彦(上代・中央大学教授)委員。

推薦・応募の選考対象者について、①会員であること、②45歳未満の若手研究者であること、③対象刊行物が規定期間(平成16年10月1日~同18年9月30日)内の刊行であること等、資格を確認の上、選考審査に入り、各委員が事前に査読したことに基づき意見交換を行いつつ進めた。欠席の委員には「選考意見書」を提出願い、委員長から席上紹介し、参考とした。

選考対象の刊行物はいずれも豊かな特徴を有しているために、容易には優劣を決しがたく、時間をかけ慎重に結論を導き出すことに努めた。その結果、上原作和『光源氏物語 學藝史 右書左琴の思想』(平成18年5月20日、翰林書房刊)を受賞候補とすることに意見の一致を見るに至った。

音楽受容史・日本漢籍受容史を論じる第一部に始まり、『源氏物語』の文献学的研究と本文研究の現状を考察する第二部、続いて『源氏物語』と古代音楽との関わりを論じる各論を配する第三部、そして紫式部の伝記考証に関する第四部から構成されている上原氏の当該著述は、これら全体を通じて、出典論・作家論・歴史社会学などの諸成果を踏まえつつ、「光源氏物語」の成り立ちと仕組みを究明するものである。そのなかで特に、『源氏物語』と古代音楽、例えば琴曲「胡苛」との関わりを探るなど、影響関係を考察し、それを本文解釈に及ぼす等々、視野広く、かつ躍動的な論述を展開するところに顕著な特徴が認められる。著述の標題に「右書左琴」とあるが、その思想さながらに、文学と音楽との交渉関係について事実考証と出典考証が意欲的になされている。これらの特徴が評価されて、受賞候補として選考委員の意見の一致をみたのである。とともに、ややもすれば停滞しがちな研究の現状打開への旺盛な意欲が認められること、研究状況の一層の活性化を促す要素を持ち合わせていることなども併せ評価された。

上のごとき選考委員会の結論を受けて、平成19年4月14日開催の常任理事会で議事として審議の結果、最終的に決定をみたのである。なお、授賞式は平成19年6月3日、二松学舎大学を会場として開催された夏季大会で行われ、中西進会長から賞状ならびに副賞が授与された。

ちなみ上原作和氏は、昭和37年(1962)11月生まれ、45歳。大東文化大学大学院博士課程単位取得。博士(文学・名古屋大学)。現在、青山学院女子短期大学講師(非常勤)。

第一回全国大学国語国文学会賞  平成18(2006)年度

津田眞弓氏(日本女子大学非常勤講師)

『山東京山年譜稿』
(ぺりかん社刊、2004年)

第一回全国大学国語国文学会賞の選考経過

選考委員長 飛田良文

学会賞選考委員会は、平成18年4月1日、東京グリーンホテル水道橋「瑪瑙の間」において、開催された。出席者は、委員長:飛田良文、委員:上野誠、永井和子、浅見和彦、清田文武、オブザーバー:宮崎莊平、日向一雅(以上常任理事)、欠席者:山下一海(委員、病欠)である。

まず、選考の進め方について意見を交換して意見の一致をみた。

一、手順については、①応募者が全員本学会員であること、②いわゆるダブル受賞も認めること、③年譜や索引等も選考の対象とすること、④受賞者は一名に限ること、を確認し合意した。

二、授賞に「ふさわしい」ことの順位の決め方(基準)については、①独創的発想・構想、②正確さ・明快さ・明晰性、③新しい分野の開拓と将来性、とする。いいかえれば自立した研究者としての研究成果が示されていること。

三、最終決定の方法については、合意をめざして審査を進めることとし、投票する場合は一人一票で候補を選ぶこととした。意見が分かれ同票の場合については、委員長に委ねることで合意した。

次に、応募作品四点については、いずれも「ふさわしい」と評価されたので、委員長宛に提出されていた全委員の審査評をもとに、当該委員が説明し、つづいて全委員が意見を述べた。その後、応募作品を見渡して第一候補と第二候補を挙げ、その結果、津田眞弓著『山東京山年譜稿』(ぺりかん社、平成16年5月刊)を第一位と決定し、全員合意した。

『山東京山年譜稿』の特色は、大別して次の五点にある。
一、山東京山の伝記と著作の全容を示した最初の年譜である。山下一海委員の言葉を借りれば、前人未踏のものである。
二、京山は合巻の最長・最多の作者で、活動期間が合巻の歴史とほぼ一致する。したがって、本書は京山書誌にとどまらず、合巻史の中枢をなし、半世紀に及ぶ出版文化の変遷が読みとれる。
三、京山の活動(商売・篆刻・茶道)と交友範囲(大名家・文人・地方)の広さは、身分を越えて交流する江戸文化の諸相を反映し、周辺人物の伝記研究を補完する。山東京伝・曲亭馬琴・鈴木牧之など。
四、山東京山像を再構築し、通説の誤りを正した。例えば、「北越雪譜」の成立に関する通説、兄嫁を死に追いやったという通説、など。
五、近世後期の戯作に対する新しい評価軸を提示した。京山らしさは、平易さ、温かさ、温和な教訓性、企画力などにあることを肯定的に評価した。

以上から、選考委員会は『山東京山年譜稿』を学会賞に価すると認め、合意の上、決定した。